内田 樹「下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)」 ★★★☆☆

内田 樹「下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)」

きっかけ=piyoに借りて

最初の経験が「労働」でなく「消費」であるために、
「就学以前に消費主体としてすでに自己を確立している」現代の子どもたちは、
すべてもののを等価交換しようとする態度をとる。

勉強するということの対価を見いだせない子どもたちは、積極的に「学び」から逃走する。
同じく労働に対する対価(=給与)が等価ではないため、積極的に労働からも逃走する。

これは日本の均質化社会が米的個人主義(=自己責任主義)を礼賛したために生じたシステムの弊害であり、
弱者必負→孤立化が進むことによって社会が階層化する(弱者は弱者としてしか生きてゆけない、というか、死ぬしかない)。

現在の教育の荒廃、ニートの増加について、確かにそういう側面もあるとは思うが、
学者的な分析という感も否めない。

子どもの不勉強は、友人同士の階層化とその階層内でのいじめの陰惨化によって、「教師側」ということを察せられるわずかな身振りも許されない学校社会が生んだ弊害ではないかと思うがどうか(内田氏の「等価交換説」よりも)。

ニートを助けたいとは思わない(やはり自分のせいでしょと思う)私は、やはり米的価値観に脳味噌が冒されているのだろうか。

内田氏は「ニートは労働して少ない対価を得るよりもニートである方が自己に対する納得性が高いためにニートという生き方を選んでいる」と論じているが、
ニートが自己責任として選択的にニートになっているとは思えない。
社会のせい、まわりのせいでニートになったと思っている(自分の人生を自分で引き受けない態度)のではないだろうか。

 

※後日付記:読後すぐは上述のような感想を持った私だが、それから半年の日常生活を送っているうちに「下流志向」の指摘は鋭いと感じることが多々あった。
今では内田先生の等価交換説なしには教育荒廃とニート問題は語れないというのが私の意見です。

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