2011年 9月 の記事

近藤 誠「名医の「有害な治療」「死を早める手術」 (だいわ文庫)」 ★★★☆☆

近藤 誠「名医の「有害な治療」「死を早める手術」 (だいわ文庫)」

きっかけ=piyoに借りて

続けて、関連書籍を読む。

タイトルは過激だが、医学専門誌等に連載された近藤氏と他医師らの対談録。
明らかに非論理的な重鎮は別として、すでに近藤本批判を展開していた丸山氏ともう一人(お名前忘れた)との対談が読み応えあり。

彼らも抗がん剤や健診についての考え方は近藤医師と似ていることも多い、が、主に「がんもどき」理論に異があるようだ。
読者も「がんもどき」理論が本当かどうか、が非常に興味がある。

がんはすべてが悪性ではない(から様子をみてもよい)、という近藤医師の主張は、「小さながんはほとんどががんもどき」という前提であるが、他医師らは「早期がん(上皮にとどまっているがん)は、ほとんどが浸潤がんになる」という主張。
確かに、この前の乳がん治療を行った渡辺さんも、乳がんを発見してから数年放置し、結局抗がん剤でがんを小さくしてから手術しているが、なら小さいうちに切っておけば抗がん剤など必要なく、もっと負担の少ない手術で済んだのに、ということができる(転移は防げなかったであろうが)。

私自身、先日の健診で乳がんの疑いありだが、放置してもしなくても転移するならするのだろうとは思う。
やはりわからないのは、ステージ2、3と大きくなったガンでも転移はないということはあり得るのか、それとも進行するガンは転移を伴っているのか。

読み込むうちに、おそらくこうではないかとは推察される。

①健診で見つかるような小さなガンは、がんもどきの可能性もあり(その確率は不明)、しばらく様子を見てよい。
②進行する(大きくなる)ガンであれば、早めに手術をした方が負担は小さいと思われる。しかし「進行している」ということは「転移があるタイプのガン」と言えるので、早晩転移が発生し、寿命は長くないと考えられる。

と、こういうことではないだろうか。。。
私のこの理解が合っているかどうか、まだ自信はない。

それにしても、このタイトルはひどい。
わざと過激にしているのだろうが、近藤医師との対談を引き受けた方々の善意を 踏みにじる行為だ。
近藤医師がこういうことに無頓着なことが、医学界で無視される原因のひとつなのかもしれない。

近藤 誠「成人病の真実 (文春文庫)」 ★★★★☆

近藤 誠「成人病の真実 (文春文庫)」

きっかけ=piyoに借りて

続けて、近藤医師の著作を読む。

「生活習慣病」ではなくあえて「成人病」と題して、高血圧、高コレステロールは加齢による自然な老化現象の範囲であることが多く、薬を飲むことは副作用を招くだけ、なのになぜ当然のようにそれらが行われるかというと、証拠があるからではなく、「それが標準」だからであり、薬会社と医師・病院による談合の世界である、という告発。近藤医師の主張では、“成人病”という呼称を“生活習慣病”と変えたのもひとつのプロパガンダとなる。

医療事故を看護婦のせいにせず、無駄な検査・治療をやめよという提言(すばらしい)。
インフルエンザ脳症は薬害であるとの告発、このあたりは非常に納得。
だが、「インフルエンザ予防接種は有効だが有用ではない」「健診は受けなくてよい(百害あって一利なし論)」については、行きすぎた考えのように思う。

近藤氏は必ず「くじ引き検査による総死亡率」をほぼ唯一の指標として断罪するが、たとえば健診を受けた人が寿命が延びるか、という問いは、マスクをすれば寿命が延びるか、ということとほぼ同じであり、マスク群と非マスク群では総死亡率に差がないからマスクをしなくてよい、というような結論になることと同じ。
我々はそこまでの極論だけで判断せず、マスクかけてた方が風邪引きにくいよね、くらいの気持ちでマスクをする。
マスクをかけてもかけなくても寿命には関係ないという理由でマスクをしない人は、変わった人だと思う。

健診や予防接種、果てはガン手術や抗がん剤についても、非科学的・非論理的であっても「その方がいいよね」的な考え方でそれが「標準」となっている気がするし、おそらく百理はなくても「一理」はある。
エビデンスがないからといってすべてを否定はできない(近藤氏もその点は同じだ考えと思う)。

インフルエンザ予防接種を受けずにインフルエンザにかかれば、次から同じ型のインフルエンザにはかかりにくいよ、という話は、なるほどそれはそうであっても、やっぱり1回でもかかるのは避けたいから毎年受ける方がよいのでは、とは思うが、そのあたり判断が難しい。

いずれにしても、三十代後半以降の日本人にとって、本書は「がん治療総決算」と合わせて必読の書だと思う。
読んでどうするかは本人次第だが。

渡辺 容子「乳がん 後悔しない治療──よりよく生きるための選択」 ★★★☆☆

渡辺 容子「乳がん 後悔しない治療──よりよく生きるための選択」

きっかけ=piyoに借りて

少し前に読んだ「がん治療総決算」の著者、近藤医師の患者である筆者の「闘わないガン共生記」。

手術せずに残りの人生を有意義に送るため、治療法や薬物に対して勉強し、自ら判断する患者。
勉強熱心な著者は、近藤医師の著作は全部読み、どうやら批判派の方の著作もかなり読んでいるようだが、私も批判派の方の本を読みたい。

わからないのは、抗がん剤は効かない、と著者も近藤医師も断言しているのに、手術前には抗がん剤でがんを小さくしてから手術している(結果、全摘をまぬかれる)が、これはどう考えればよいのか?
抗がん剤は「小さくできる」が「治らない」という意味か?

また、2期や3期のとき「転移率が50%の場合、手術を勧めるかどうか迷う」とはどういうことか?
転移するなら1期よりもはるかに前に転移しているという説が正しければ、1期でも2期でも3期でも転移率は変わらないのでは?
それとも「がんもどき」は2期以上にはならないということか?
など、わからないことも多い。

また、近藤医師は「くじ引き検査による総死亡率」のみを最重要視しているが、おそらくそれ以外の有効なデータが、たとえばがん細胞が小さくなったりなくなったりというデータが、存在するのだろう。
総死亡率の違いだけで、1%の望みを最初から捨てることは、若い患者やその家族にはできないことだろう(宝くじも買わねば当たらない理論で)。

このところ、矛盾もありつつどう折り合うべきなのか、もっとよく知りたいし考えたい。

内田 樹「こんな日本でよかったね―構造主義的日本論 (文春文庫)」 ★★☆☆☆

内田 樹「こんな日本でよかったね―構造主義的日本論 (文春文庫)」

きっかけ=piyoに借りて

今回お借りした内田本もこれが最後の一冊。
こちらもブログ転載系で2006年~2007年のもの。

小泉内閣の長期政権から安倍→福田→麻生と続く中、「何もかもぶっこわして再構築せよ」というスローガンにもろ手を挙げて追随し「弱者による弱者バッシング」で思う存分ストレス発散させたあと、「格差社会」と言い始めた日本人に対して、「何も全部ぶっこわさなくても、使えるところは使って、修正すべきところは修正した方がよかったんでは?」「日本が平和だからこうなってるんだけど、何か問題でも?」という内田節をきかせる。

最近のブログでも「『待ったなし』を待っていただけませんか」というタイトルがあったけど、そういうスローガンに惑わされず頭を使って考えてよ、というメッセージである。

また、年金問題にせよ高校必修授業未履修問題にせよ、犯人探しをするのではなく、段階として①そもそも無理②やり始めた人③それに無責任に続いた段階 に分けるとすれば、②から③に移った段階が最も悪質だという指摘はそのとおりだと思う。

win=winならずルーズ=ルーズ・ソリューションというのも面白かった。