池谷 裕二「進化しすぎた脳 (ブルーバックス)」 ★★★☆☆

池谷 裕二「進化しすぎた脳 (ブルーバックス)」

きっかけ=piyoからお借りして。

著者がNY留学している際に、日本人高校生数人を相手に連続講義をしたときの講義録。
高校生たちと一緒に取り上げるテーマがとても、哲学的です。
「脳」をテーマとした禅問答、という印象を受けました。

ただし、禅問答の場合は、絶句したときは絶句したまま、それを積み重ねて禅の根本に近づくというアプローチを取りますが、
池谷先生の場合は脳科学研究者だけあって、絶句したままにせず、そこにある汎用的な定義付けをされます。
しかし池谷先生は、完全ではないがそれでも定義するなら、という前提での定義であり、定義だけでは説明できない現象については「科学ができることはしょせんここまでだよ」と割り切っています。
科学者として、とても真摯な態度だと感じます。

たとえば、「意識がある」ことの最低条件は、
(1)表現の選択
(2)ワーキングメモリ(短期記憶)
(3)可塑性(過去の記憶)
の3つとしています。
この3つなら、高度な知能を持つコンピュータが条件が揃ってしまうのでは?という突っ込みに対して、「そうだね、それが科学の限界だ」とサラリと答えます。
しびれますねー。

高校生に対する4回の連続講義のうち、第2回(第2章)が一番おもしろかったように思います。
この本は目次だけ見ていてもワクワクしますが、第2章には

「目ができたから、世界ができた」
「人間は言葉の奴隷」
「『悲しいから涙が出る』んじゃない」

などの小見出しがあり、このへんがとても共感しました。

私たちの見ているもの、感じること、思うことは、すべて限定・歪曲されているけれど、そのようにしか知覚できないし理解できない。
だからといって投げやりにもなりたくない。
自分が見ているもの、思うことが「正しい」のではなく、「偏っている」という前提で、それでも真実にアプローチしたいという情熱を持つ、
常にそういう態度を取りたいものです。

脳科学を追求すると、そういう哲学に行きつくんですね。
いや、何を追求しても、行きつくところはそういうことなのかもしれません。

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