バガヴァッド・ギーター (岩波文庫) ★★★★☆

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

きっかけ=8年前くらいに読んで書きとめたレビューです。当時ガンディーにはまっていて、氏の座右の書とされている本書に興味を持ちました。


インドの二大叙事詩のひとつ「マハーバーラタ」の第六巻に編入されているこの有名な聖典を、私が手に取るきっかけとなったのは、ガンディーのギーター信仰である。
「ガンジー自伝」第五部「ギーター研究」では、「わたしにとって、ギーターは行為における不可欠の指針になった。それは、わたしの日常必携の辞典となった」とされている。


この聖典の主題はシンプルだ。
「この世に生きる我々は、定められた自分の職務を、結果を期待せずに、ただ行為のために行為することによって解脱できる。行為の結果は神に預け、成功・不成功に執着してはならない」。

つまり、究極の「無償の行為」を説くものだ。

さまざまな宗教書についてほぼ無知の私が、今わかる範囲でギーターおよびヒンドゥー教の特徴を並べると、以下のようになる。

・ 私たちのような普通の社会人が、特別な修行をしなくとも、自分の仕事をしながら解脱に近づけるのだという明快さ。

・ 自分の職務は予め定まっており、それを行うべしとする、カーストに立脚した教え。

・ よって、武士は人を殺すのが与えられた役割だから、たとえ人を殺しても罪にはならず、気にしなくてよいという教え。

・ ブラフマンは最高神であり、他の信仰の対象も実はブラフマンだという解釈なので、キリストもアッラーも本当は全部ブラフマンなんだ!ということになってしまう。

・ ヒンドゥーの信仰の形もさまざまだが、この考え方が源泉なのだろう。

・ しかし、他の信仰対象は最終絶対神ではないので、輪廻を繰り返す。
ブラフマンを信仰し一体化した人はもう生まれ変わらない(=安寧)というのが面白い。

・ 目指す境地は「無我、無私の状態」であり、仏教に非常に近い(当然といえば当然だが)。
「知識のヨーガ」は、仏教の「智慧」に当てはまると思われる。

・ 「放擲者(結果を求めず行為する人)」→「ヨーギン(行為の超越を成就した隠棲者)」→「ブラフマン(最高神)との一体化」と、解脱への到達過程を二段階に分けているのが特徴的。

この「神の歌」がオルガスムスに達するのは第十一章。
戦士アルジュナが、神であるクリシュナに真の姿を見たいと望み、クリシュナがそれに応えて神の姿を現す。

それは「多くの口と眼、多くの腕と腿と足、多くの腹を持ち、多くの牙で恐ろしい、あなたの巨大な姿」であり、「これら人間界の勇士たちは、燃え盛るあなたの口の中に入る。蛾が大急ぎで燃火に入って身を滅ぼすように、諸世界は大急ぎであなたの口に入って滅亡する」姿である。

恐れ慄き取り乱したアルジュナは、ひれ伏してもとの姿に戻ってほしいと願う。
すると、人間の温和な姿に戻ったクリシュナが、やさしく言う。
「私のために行為し、私に専念し、私を信愛し、執着を離れ、すべてのものに対して敵意ない人は、まさに私に至る。アルジュナよ」。

この、究極の恐怖と柔和な旋律の対比により、神クリシュナにすべてを委ねるしかないという宿命が腑に落ちる。


この文庫本の読み方としては、まずp.18の家系図を見ながら、「まえがき」にあるマハーバーラタのあらすじを一気に読む。
登場人物が異常に多いがギーター本編にはほとんど関係ないので斜め読みで結構。
次に巻末の「解説」を熟読。
ようやく本編に入るが、再度「解説」をガイドにしながら読むとよい。
訳注は学問的な解釈方法についてなので見る必要はない。

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