鎌田 東二「超訳 古事記」 ★★★☆☆


鎌田 東二「超訳 古事記」

きっかけ=前々から読んでみたいと思っていた「古事記」を、代官山 蔦屋書店で購入。

つぎ、古事記です(笑)。お借りしている本がなくなると、どうしてもこちら方面のジャンルに偏ってしまう私。
これも昔から読んでみたかったのだけれど、なかなか手を出せていなかった一冊。代官山 蔦屋書店は1Fに「宗教書」コーナーがあり、古事記も何冊か品揃えがあったので、いくつか手にとってこちらを購入。タイトルに「超訳」とありますが、独自の解釈というよりは、表現として「詩」のような形式を用いている、というだけであり、逆に原作の意図に忠実だと感じました。


いやおもしろいです、古事記。美醜色欲エログロなんでも来いの大スペクタクルロマン!です。なんというか、神様の物語というのは、起承転結になっていないのがおもしろいのです。ええっそれで終わり!?いいのそれで!?みたいな物語の連続です。旧約聖書などでも、ええっいいのそれで!?みたいな物語が多いですが、多くは深刻で悲痛なエンディングであるのに対して、この古事記の、悲惨なのになぜかあっけらかんと明るいのはなんなのでしょうか。


たとえば伊邪那岐と伊邪那美の離婚話。火の神を産んで性器を焼き焦がし、我が身も焼き尽くして死んでしまった伊邪那美をあきらめきれず、黄泉の国まで追いかけていった伊邪那岐。ようやく会えた伊邪那美から、ここで待っていてください、決して探さないでくださいと言われたにも関わらず、待ちきれずに伊邪那美をさがし求めて暗闇を進むと、見るもおぞましい蛆虫だらけの腐乱死体となった妻の姿を見つけてしまう。逃げに逃げる伊邪那岐を、ものすごい憎悪の塊になって追いかける伊邪那美の大迫力。

追って 追って 追って 追いついて
夫をつかみとり 引き裂き 食い殺してしまいたい
伊邪那美の愛は 強い憎しみに 変じた
その怒りの 炎に包まれた
妻の姿を振り返り 見るつど
伊邪那岐は 震え上がり
さらに速く 駆けに駆けた(p.42)

それで、逃げている伊邪那岐が、走りながら自分の髪飾りや櫛をうしろに投げると、それが葡萄や竹の子に変わり、伊邪那美と共に黄泉の国から追いかけてきた女たちがそれにつられて食べている間にさらに逃げます。恐怖の逃走の場面で、なんでいきなり吉本新喜劇みたいなことが起こるのでしょう。そしてとうとう伊邪那岐は黄泉の国から抜け出し、大きな岩でこの世との通路を塞ぐと、伊邪那美は恨みを述べます。

「あなたは わたしに恥をかかせた
そのため わたしは
あなたの国の 生まれてくる子どもを
一日に千人 殺してしまいます」(p.45)

これに対して伊邪那岐は、それならわたしは一日千五百人が生まれる産屋を建ててみせるといい、これにて夫婦は絶縁、伊邪那美はひとりさびしく黄泉の国に帰ってしまいます。


なんか・・・ひどい結末じゃないですか!?日本の国土や大切な神様をたくさん作った二人が、もうひとかけらの愛も情けも未練もない、呪いの言葉をお互いに吐きあって絶縁し、妻はしょんぼり黄泉の国に追いやられるなんて・・・。これが日本の国土を作った神様ですよ、いいんですか(笑)


こんな物語が満載です。しかも、なぜか男性の主要な神様は、揃って虚弱体質のマザコン男で、色々な経験を経て強く賢い男に成長してゆきます。


あと有名なシーンで、天の岩屋戸に隠れた天照大神を呼び戻すために、神様が揃って岩屋戸の前でお祭りをするのですが、そのクライマックスの天宇受売命のダンスの描写は圧巻で、官能の極みです。サロメを超えるエクスタシーです。古代、きっと古事記は奉納という形であれ、さまざまに演じられてきたと思いますが、この場面はどのような巫女が法悦の表情で踊り狂ったのだろうかと想像するとウットリしてしまいます。


日本の神社の由来を知るためにも、一度は読んでおきたい「古事記」。読みやすくかつ原典を大事にしていると感じられる本書は、日本人なら万人にオススメの一冊です。

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