カテゴリー : 03.医療

石飛 幸三「「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」 ★★★★☆

石飛 幸三「「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」

※今回は本のレビューだけではなく、私の個人的なthinking中心です。
長文かつ重い話もありますので、「看取り」についてご興味のあるのみご覧いただければ幸甚です。

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近藤 誠「名医の「有害な治療」「死を早める手術」 (だいわ文庫)」 ★★★☆☆

近藤 誠「名医の「有害な治療」「死を早める手術」 (だいわ文庫)」

きっかけ=piyoに借りて

続けて、関連書籍を読む。

タイトルは過激だが、医学専門誌等に連載された近藤氏と他医師らの対談録。
明らかに非論理的な重鎮は別として、すでに近藤本批判を展開していた丸山氏ともう一人(お名前忘れた)との対談が読み応えあり。

彼らも抗がん剤や健診についての考え方は近藤医師と似ていることも多い、が、主に「がんもどき」理論に異があるようだ。
読者も「がんもどき」理論が本当かどうか、が非常に興味がある。

がんはすべてが悪性ではない(から様子をみてもよい)、という近藤医師の主張は、「小さながんはほとんどががんもどき」という前提であるが、他医師らは「早期がん(上皮にとどまっているがん)は、ほとんどが浸潤がんになる」という主張。
確かに、この前の乳がん治療を行った渡辺さんも、乳がんを発見してから数年放置し、結局抗がん剤でがんを小さくしてから手術しているが、なら小さいうちに切っておけば抗がん剤など必要なく、もっと負担の少ない手術で済んだのに、ということができる(転移は防げなかったであろうが)。

私自身、先日の健診で乳がんの疑いありだが、放置してもしなくても転移するならするのだろうとは思う。
やはりわからないのは、ステージ2、3と大きくなったガンでも転移はないということはあり得るのか、それとも進行するガンは転移を伴っているのか。

読み込むうちに、おそらくこうではないかとは推察される。

①健診で見つかるような小さなガンは、がんもどきの可能性もあり(その確率は不明)、しばらく様子を見てよい。
②進行する(大きくなる)ガンであれば、早めに手術をした方が負担は小さいと思われる。しかし「進行している」ということは「転移があるタイプのガン」と言えるので、早晩転移が発生し、寿命は長くないと考えられる。

と、こういうことではないだろうか。。。
私のこの理解が合っているかどうか、まだ自信はない。

それにしても、このタイトルはひどい。
わざと過激にしているのだろうが、近藤医師との対談を引き受けた方々の善意を 踏みにじる行為だ。
近藤医師がこういうことに無頓着なことが、医学界で無視される原因のひとつなのかもしれない。

近藤 誠「成人病の真実 (文春文庫)」 ★★★★☆

近藤 誠「成人病の真実 (文春文庫)」

きっかけ=piyoに借りて

続けて、近藤医師の著作を読む。

「生活習慣病」ではなくあえて「成人病」と題して、高血圧、高コレステロールは加齢による自然な老化現象の範囲であることが多く、薬を飲むことは副作用を招くだけ、なのになぜ当然のようにそれらが行われるかというと、証拠があるからではなく、「それが標準」だからであり、薬会社と医師・病院による談合の世界である、という告発。近藤医師の主張では、“成人病”という呼称を“生活習慣病”と変えたのもひとつのプロパガンダとなる。

医療事故を看護婦のせいにせず、無駄な検査・治療をやめよという提言(すばらしい)。
インフルエンザ脳症は薬害であるとの告発、このあたりは非常に納得。
だが、「インフルエンザ予防接種は有効だが有用ではない」「健診は受けなくてよい(百害あって一利なし論)」については、行きすぎた考えのように思う。

近藤氏は必ず「くじ引き検査による総死亡率」をほぼ唯一の指標として断罪するが、たとえば健診を受けた人が寿命が延びるか、という問いは、マスクをすれば寿命が延びるか、ということとほぼ同じであり、マスク群と非マスク群では総死亡率に差がないからマスクをしなくてよい、というような結論になることと同じ。
我々はそこまでの極論だけで判断せず、マスクかけてた方が風邪引きにくいよね、くらいの気持ちでマスクをする。
マスクをかけてもかけなくても寿命には関係ないという理由でマスクをしない人は、変わった人だと思う。

健診や予防接種、果てはガン手術や抗がん剤についても、非科学的・非論理的であっても「その方がいいよね」的な考え方でそれが「標準」となっている気がするし、おそらく百理はなくても「一理」はある。
エビデンスがないからといってすべてを否定はできない(近藤氏もその点は同じだ考えと思う)。

インフルエンザ予防接種を受けずにインフルエンザにかかれば、次から同じ型のインフルエンザにはかかりにくいよ、という話は、なるほどそれはそうであっても、やっぱり1回でもかかるのは避けたいから毎年受ける方がよいのでは、とは思うが、そのあたり判断が難しい。

いずれにしても、三十代後半以降の日本人にとって、本書は「がん治療総決算」と合わせて必読の書だと思う。
読んでどうするかは本人次第だが。

渡辺 容子「乳がん 後悔しない治療──よりよく生きるための選択」 ★★★☆☆

渡辺 容子「乳がん 後悔しない治療──よりよく生きるための選択」

きっかけ=piyoに借りて

少し前に読んだ「がん治療総決算」の著者、近藤医師の患者である筆者の「闘わないガン共生記」。

手術せずに残りの人生を有意義に送るため、治療法や薬物に対して勉強し、自ら判断する患者。
勉強熱心な著者は、近藤医師の著作は全部読み、どうやら批判派の方の著作もかなり読んでいるようだが、私も批判派の方の本を読みたい。

わからないのは、抗がん剤は効かない、と著者も近藤医師も断言しているのに、手術前には抗がん剤でがんを小さくしてから手術している(結果、全摘をまぬかれる)が、これはどう考えればよいのか?
抗がん剤は「小さくできる」が「治らない」という意味か?

また、2期や3期のとき「転移率が50%の場合、手術を勧めるかどうか迷う」とはどういうことか?
転移するなら1期よりもはるかに前に転移しているという説が正しければ、1期でも2期でも3期でも転移率は変わらないのでは?
それとも「がんもどき」は2期以上にはならないということか?
など、わからないことも多い。

また、近藤医師は「くじ引き検査による総死亡率」のみを最重要視しているが、おそらくそれ以外の有効なデータが、たとえばがん細胞が小さくなったりなくなったりというデータが、存在するのだろう。
総死亡率の違いだけで、1%の望みを最初から捨てることは、若い患者やその家族にはできないことだろう(宝くじも買わねば当たらない理論で)。

このところ、矛盾もありつつどう折り合うべきなのか、もっとよく知りたいし考えたい。

近藤 誠「がん治療総決算 (文春文庫)」 ★★★★☆

近藤 誠「がん治療総決算 (文春文庫)」

きっかけ=piyoに借りて

「患者よ、がんと闘うな」著者。

「患者よ~」は当時かなり過激で論争の火種になったが、その後10年経過したということで、「総決算」というタイトルどおり、体系的網羅的に自説に基づいた各部位のガンの解説と治療法についてまとめている。

「がんもどき理論」は初めて読み衝撃を受けると共に、背景としてはよく理解できるしデータも多いので、評価したいのだが、
なぜ今の医学界がこれに猛反発したのか、近藤医師が「火あぶり」状態になったのか、その批判者側の話も聞かないと評価できない。

有吉 佐和子「恍惚の人 (新潮文庫)」 ★★★★☆

有吉 佐和子「恍惚の人 (新潮文庫)」

きっかけ=中古本屋さんでなんとなく購入。

昭和47年の小説。
介護老人を抱える家族の悩みを、当時珍しかった「職業婦人」の昭子の視点で丹念に描かれる。

筆致もクラシックで世相もよく現れ読み応えがある。
どんでん返しもなく綿々と老人が亡くなるまでの心象風景を丁寧に描く。
とても読み応えがあり、読み終わった後もじわじわ染みてくる作品。

同じ和歌山生まれの有吉佐和子さんの小説をもっと読みたくなった。

飯島 夏樹「ガンに生かされて」 ★★★☆☆

飯島 夏樹「ガンに生かされて」

きっかけ=本屋さんでなんとなく購入

終末期ガンと「闘う」のではなく「共生する」。ハワイで家族とともに送る宝物のような日々。

ユーモアを交えた文章はお世辞にもうまくないが、リアルな痛み、苦しみと悦び、その交錯が伝わってくる。

しかしタイトルはおかしいと思う。他者としてのガンに生かされているのではなく、「私=ガン」となって成長してゆく様がじわじわ感じられる。
だから「ガンと共に生きる」ではないか。

「生かされている」という宗教的死生観と、「ガンと私が一体化する(=共に生きて死ぬ)」とがごっちゃになっているのが残念。