カテゴリー : 04.文芸・小説

藤澤 清造「根津権現裏」 (新潮文庫) ★★★☆☆

藤澤 清造「根津権現裏」 (新潮文庫)

きっかけ=piyoからお借りして。

piyoもレビューの中で独りごちていたように記憶していますが、一体西村賢太にはまった人の何人が、この「根津権現裏」まで読むのでしょう。
氏の人生を変え、その人生の拠り所、というか生きがい、どころか“生きることそのもの”にまでなってしまった感もある、藤澤清造というその人の、正しくその再評価をするということの、稲妻のようなきっかけとなったのがこの「根津権現裏」なわけです。

帯にはこうあります。
「恋人が欲しい、手術もしたい。私は、ただ一図に金が欲しい。」
読み終わった後、この絶望的で悲痛な叫びが、一筋に深く、しみじみと身に突き刺さります。
金がほしい、ということに対して、あいまいで無邪気な願望しか持っていない私は、穴があったら入りたいくらいの気持ちになりました。


私小説であるこの長編の主人公はもちろん清造自身なわけですが、その貧乏さは本当に凄まじく確固としており、墨絵の版画のようにクッキリと浮かび上がります。
彼の一挙手一投足、息遣いひとつが、貧しさそのものです。
主人公の友人、岡田が発狂して縊死にいたった経緯や原因を、岡田の兄に聞かせるという物語がメインなのですが、その場面にたどり着くまでものすごくしつこい、ねちこい。今までの賢太の筆によって聞かされた“くどい”“ねちっこい”との清造評も深く肯けます。


賢太の作品でもいつも感じていて、この「根津権現裏」でも同じ印象を受けたのですが、物語のラストスパートが凄い。
終わりに近づけば近づくほど、加速度的に陰惨さを極め、引きずり降ろされるような気がします。
ダメのダメ押し、人間失格の烙印を、墨汁で塗りたくられるような気持ちになるのです。
救いのない、落ちもないエンディング。ほんのひとかけらの諧謔だけが救いのような・・・。
これが賢太であり清造の魅力ではないか、ということに、本作で気付きました。


最後に、岡田の亡霊が主人公にこう言います。
「もう僕達の落ちていく穴はきまってるよ。何もそんなにびくびくするがものはないよ。どうだい。やっぱり痛むのかい。」
ものすごく生々しく、私の足の向こう脛あたりに、岡田のひんやりした指先が触れるのを感じました。


いつも解説を先に読む私も、この本だけは最後に取っておきました。
当然、賢太が書いているのですが、やはり味わい深かったです。
自身の芥川賞受賞をきっかけに、この作品が新潮社から発刊されたことに対して、彼ならではの感慨が隠さず述べられており、いかにも賢太らしいと最後に笑ってしまいました。

広告

西村 賢太「暗渠の宿 (新潮文庫)、「二度はゆけぬ町の地図 (角川文庫)」 ★★★☆☆

 

西村 賢太「暗渠の宿 (新潮文庫)」

西村 賢太「二度はゆけぬ町の地図 (角川文庫)」

きっかけい=piyoからお借りして。

久々に賢太です。
賢太は、それなりに心の準備をした上で、続けて読まないといけません。

以前読んだ三作のインパクトが強すぎて、今回の作品にはさほど驚きはなかったのものの、あいも変わらない氏の愚劣極まる悪行の顛末と、これでもかという粘着気質に、畏怖さえ感じる・・・といった感想です。


「暗渠の宿」には、例の同居女性が出てきます。またかーい!!!
女がサンシャインの水族館に行きたいと言っているのに、またもや清造がらみで上野動物園の熊見物に引っ張って行ったあげく、帰りに寄った古書店でいざこざを起こし、それに嫌な顔をした女に家に帰ってから復讐をするといういつもの展開。たまりません。

さらに、もう一編の「けがれなき酒のへど」では、風俗女性にいれあげて100万円近くを騙し取られる話も出てきます。今までにも何度か挿話的にこの話が出てきていたので、これか!!!と感慨深い。


「二度とはゆけぬ町の地図」で描かれているのは十代の賢太です。貧乏さが半端ではありません、四十歳の今も貧乏な賢太ですが、中卒の17歳やら18歳なんて、雇ってくれるところもないし、たまに職にありついても必ずやトラブルを起こして続かない。家賃は滞納して大家に追い出される。こんな人がなぜいつ読書に精を出していたのか、つくづく不思議です。

バイト先でまたもや傷害事件を起こし、運悪く警官に暴力をふるったためにとうとう拘置所で12日間を過ごすハメになる話のタイトルは「春は青いバスに乗って」。センス良すぎ!!!

収録されている四編のうち最後のタイトルは「腋臭風呂」ってまたもう!
この中に、なんとあの例の女性(秋恵)と別れた後の話が出てきます。
うーん気になるのは秋恵との別れの顛末。さぞや壮絶なのでしょうが、いつか書いてくれることを期待したいものです。

ニコルソン ベイカー (著), 岸本 佐知子 (翻訳) 「もしもし (白水Uブックス―海外小説の誘惑)」 ★★☆☆☆

ニコルソン ベイカー (著), 岸本 佐知子 (翻訳) 「もしもし (白水Uブックス―海外小説の誘惑)」

きっかけ=ちょっと笑いたい気分だったので、piyoからお借りした本からこちらをチョイス。

男性と女性の電話の会話だけで全編構成されている小説。しかもその二人の会話は「テレホンセックス」。
帯に「前代未聞!」って書いてます。本屋でこの帯を見たなら手に取ることはなかったと思いますが、piyoの書評で面白そうと思い、お借りしました。

短編というわけでもなく、まさかこの小説全編でやーらしいことばっかり話せるわけがないと思っていたら、やーらしいことばっかり話してました(笑)
まあいやらしいといっても電話での会話というのがミソで、結局は二人がいやらしい行為に及んでいるわけではなく、空想上の性ファンタジーなのです。
話はしょっちゅう脱線しまくり、昨日あったことを話している途中にいきなり空想の世界に飛んでいきます。

この、いきなり飛んでいくあたり、実は少々私の苦手分野です。
外国文学ってどうして、空想上のことが異常に具体的なんでしょう。
この小説なら、電話の相手の彼女は小さなアクセサリー店のセンスと腕のいい技術工で、ある日そこに食器洗浄機でうっかり傷をつけてしまった銀のスプーンを修理してもらいたいという男性客が来店する、という挿話が出てくるのですが、これがすべて電話相手の男性の空想物語で、“小さなアクセサリー店”すら実在しません。
赤毛のアンかい!と突っ込みたくなるのですが、こういう話の延長でエッチなあんなことやこんなことに発展してゆきます。

まあ本物のエロ小説ではないので、二人の電話での会話だけから成り立つ性ファンタジーの、あっちにいったりこっちにいったり、その阿吽の呼吸こそが妙味であり笑えるポイントでもあります。
でも、もともと外国文学のファンタジーものが苦手な私なので、星は少なめになってしまいました。

piyoの評では、この翻訳はお見事!らしいですよ。
英語がわかる人でないと妙訳に感動もできないものだな、とションボリ(当たり前か)。

福沢 諭吉 (著), 富田 正文 (編さん) 「新訂 福翁自伝 (岩波文庫)」 ★★★☆☆

福沢 諭吉 (著), 富田 正文 (編さん) 「新訂 福翁自伝 (岩波文庫)」

きっかけ=せっかくなので福沢の自伝も読んでおこうとネット購入。

福沢諭吉というとまずは「天は人の上に人をつくらず」ような高尚なイメージが先行するが、「人類皆平等」のような理想主義的思想家ではまるでない。
一言で表すなら「変わり者のワンマン先生」がぴったりのような。

自身の生い立ちにおいて、上士の下士に対する非人間的な扱いに「封建制度は親の敵」と斬って捨てており、自分は目下の者にもさん付けで丁寧に接したという挿話もあるが、逆に「朝鮮人」「車夫・町人」などを別人格とするような記述もあり、この時代の差別観の根深さもわかる。

福沢自身はとにかく嫌攘夷、嫌漢学で徹頭徹尾一貫しており、主義は開国、欧化一辺倒と非常にわかりやすい。
もちろん独立国家の確立と富国強兵を目指しており、日清戦争の結果にも涙して喜んでいる。

まあとにかく変わり者で周りを気にせず我が道を行くが面倒見もよい(でないと先生なんてやってられないだろう)、また余計な自尊心もないので威張らないが謙遜もしない。
自伝で出てくる挿話はどれも酒の席でのおもしろ自慢話という感じで、行間に俺様すげー感がビンビン出ているが、なぜか嫌みなく笑って読めてしまう。
この前に「福沢山脈」を読んでいるので門下生から見た福沢像との対比もおもしろい。

酒の席での自慢話が嫌いな人にはオススメしないが、一読すれば高尚な福沢諭吉像が変わり者のベンチャー起業家に見えてくること請け合い。

小島 直記「福沢山脈(上)(下) (日経ビジネス人文庫)」 ★★★☆☆

小島 直記「福沢山脈(上) (日経ビジネス人文庫)」 (日経ビジネス人文庫 グリーン こ 8-1)

小島 直記「福沢山脈(下) (日経ビジネス人文庫)」 (日経ビジネス人文庫 グリーン こ 8-2)

きっかけ=日本近代史関連本を読みたいと思っていたところ、そのへん詳しいSくんにお借りできたのでさっそく。

明治初期の福沢門下生(つまり初期の慶応義塾卒業生)の群像ストーリー。
物語の中心となる朝吹英二の豪傑話、女にはだらしない一面(あーいやだ、奥さんかわいそう)、さらに女にだらしない下剋上の強欲男(伊藤博文・・・)、信じがたくプライドの高い文筆男(尾崎行雄)などなど、キャラクターの濃い男どもが出たり入ったり。
さらに全員の師である福沢諭吉の抜きんでた発想力と変人ぶりもすごい。

日本近代の政界経済界を立ち上げた男たちのリアルな姿が生き生きと描かれており、何の知識もない私でも楽しめた。
それにしても、明治を立ち上げた人たちとはどれほど高尚な方々かと思っていたら、とんでもない(笑)
薩長閥での利権争いや汚職は当たり前、政治に携わる人々は今では考えられない高級取りで毎晩芸者の膝枕。
公僕たる精神は微塵もない。妻は泣いて従うばかり。
あーこんな時代に生まれなくてヨカッタ。

五木 寛之「親鸞(上)(下) (講談社文庫)」 ★★☆☆☆

五木 寛之「親鸞(上) (講談社文庫)」

五木 寛之「親鸞(下) (講談社文庫)」

きっかけ=最近「親鸞-激動編」の新聞広告を目にして、既刊の文庫版の方を近所の書店で購入。

五木氏の著作は以前「他力」を読んだがあまり印象に残っておらず、なんとなく合わなかった気がしたのだが、今回も同じような印象が残った。
バリバリの大乗仏教の、しかも親鸞聖人の物語であり、かなり個人的興味のあるジャンルなのだが、いまひとつ乗り切れないのは五木氏の筆が写実性よりエンタテインメント性を重視しているからだと思う。

この章では親鸞の生い立ちから叡山修行時代を経て下山のあと法然に師事し、市井の人々に念仏即往生を説きはじめるが徐々に浄土宗への弾圧が強まり、法然が土佐、親鸞が佐渡に流刑となるまでが描かれている。

そもそも聖人物語なるものは真実と伝説の区別が難しいが、さらに五木氏による大胆な創作も追加されているので、どこまでが事実なのかさっぱりわからない。
残虐極まる黒面法師が親鸞の妻、紫野の両目を針で潰そうとした瞬間、どこかに潜んでいたツブテの弥七が放った小石が針をはじきとばす、などの演出は、これで盛り上がる人もいるのかもしれないが、私などは興ざめてしまう。

法然に帰依することになったきっかけ(後に妻となる紫野が救世観音に化身し吉水に導く)も、半分は五木氏の創作だが、そこが創作であればなおのこと、矛盾を乗り越え身も心も帰依するに至った過程はもっともっと矛盾に引き裂かれる姿を丁寧に描いてほしかったし、叡山では自らの煩悩を乗り越えるため、異常な激しさで身を削り行を修め、欲望も振り切ってきたにも関わらず、妻帯するときのその安易さは何?とやや肩すかしだったり。

有吉佐和子さんが描くような、写実的な親鸞を読みたいんだけどなあ・・・と、ないものねだり。

林 真理子「六条御息所 源氏がたり 二、華の章」 ★★★☆☆

林 真理子「六条御息所 源氏がたり 二、華の章」

きっかけ=第一章の続きを楽しみにしておりました。Amazon購入。

林真理子さんの六条御息所源氏がたりの第2巻。

朧月夜との密会がばれて須磨明石への隠遁、京に復帰してからの出世、その合間にも欠かさない女性たちとのさまざまな恋愛模様。

2巻の中で六条は亡くなるが、1巻と同じく2巻でも六条の目線からの源氏像が斬新。
六条は明石の君を自分の一族の女と認め共感するが、源氏が最後まで明石の君の生まれのいやしさを蔑み軽く扱ったとなじる。
そんなことは今まで源氏物語を読んでいても全く気付かなかったが、娘までもうけた女性なのに六条邸でも一段格下の部屋を与え、「上」ではなく「君」で通したことからもなるほどうかがえる。

一度体を重ねた女は嫌々でも面倒をみる源氏、ハーレムとなった六条邸など、栄華を極めた源氏の余裕と、それでもなびかない女性たち(朝顔の君)などは中盤の面白み。

それにしても源氏の女性に対する倫理観のなさには笑ってしまう。
帝の寵愛を一身に受ける朧月夜とも関係を切らず、六条御息所の娘斎宮をいくら口説いても自分のものにならないため、院から望まれると息子の冷泉帝に差出し出世の駒として中宮(秋好中宮)とし、さらに夕顔の忘れ形見の玉蔓を囲い性懲りもなく口説く。

この物語は全3巻とのことで、あと1巻で終わりかと思うとちょっと残念。