カテゴリー : 06.エッセイ

西村 賢太「随筆集 一私小説書きの弁 (新潮文庫)」 ★★★☆☆


西村 賢太「随筆集 一私小説書きの弁 (新潮文庫)」

あとがきで、賢太自身が「アル中の一私小説書きの、とりとめのないクダ話」と位置付けているのが本書です。
これがまた面白い。

内容は賢太があちこちに書いたエッセイや解説などの再録なので、清造に関してはもういいよっていうほど何度も同じ話が出てくるし、誰やらの本の解説が突然出てくるのでその本がどんなものか気になるし、色々と気が散るのですが、今まで読んできた賢太の「私小説」ではなく、「私小説家であるところの賢太自身」が書かれているのがおもしろい。

賢太の小説で「根が○○にできている私は」という表現が何度も出てくるのですが、これがかなり私のツボです。
今回の随筆集にも何度も出てきて、そのたびに笑ってしまいました。本作で気づいただけでも

・根が厚顔な私は
・根が未練にできている私は
・根がどこまでもスタイリストにできているところの私であれば
・私は根が随分と厭き性にできており、

と、出てくる出てくる。
だいたい自分の悪行や、見得や嫉妬による復讐などの言い訳めいたことに使われるのですが、ほんまに最悪やな、と毎度笑ってしまいます。
そういえば先日読んだ清造の「根津権現裏」にも同じ表現ありました。



清造の再評価を生きがいとしている賢太は、どういう思いで自分でも小説を書いているのか、と常々不思議だったのですが、なんとなくその心象風景も読み取れました。
大雑把に言うと、彼は浅薄なフィクション小説にものすごい嫌悪感を感じているようで、そのフィクション小説家たちがもてはやされたり、読者や出版社が喜んだりするのを、吐き捨てたいくらい軽蔑しているようです。

わずかにこれらの作中には、作者の頭の中だけで、観念だけで暴力を語ったり、登場人物を都合よく動かしたりしてる部分が微塵もないところに、当今のバカな読者やバカな評者、編集者なぞがよろこびそうな小説よりも、いくらかマシな面がなかろうかとの思いもなくはないが、これは他の鑑賞眼の全てに、良しとしてうつるものでもあるまい(もっとも私個人は、こと小説に関しては、ただ才に任せただけの観念の産物よりも、その作者自身の地と涙とでもって描いてくれたものでなければ、まるで読む気もしないし書く気も起こらぬが)。(「『どうで死ぬ身の一踊り』跋」より)

そういう、賢太から見るとヌルく幼稚な読書人が多勢を占める世間では「大正期の私小説」なんて、清造その人と同じように、軽蔑さえされず忘れ去られているのが現実ですが、そこにそういう人々が目を覆い罵倒を浴びせざるを得ないくらい下劣強烈な内容とタイトルの私小説を暴露することによって、清造という存在、私小説という存在、ひいては自分自身を、無いこと同然の存在から、「有」しかも「異形の者」として屹立させる、それを目的としているのではないか、と感じます。

それに魅力を感じる我々も、普段はないことにしているある種私小説的なもの、つまり自分の中の暗部とその奥にある膿汁を、賢太に首根っこを掴まれて覗かされる、そういう魅力にハマっているということなのですが、賢太がさらに魅力的なのは、そこに諧謔的な笑いのツボが多々あることが理由のように思います。
悲惨なのに、笑ってしまうのです。

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池谷 裕二「脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)」 ★★☆☆☆

池谷 裕二「脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)」

きっかけ=piyoからお借りした一冊。

脳科学者、池谷祐司先生の「脳科学エッセイ」。
氏の著書は初めて手に取りました。いま二冊目「進化しすぎた脳」を読んでいるのですが、ちょっと読む順番を間違えたような気がします。先に「進化~」を読んだ方がよかったかな。

「脳はなにかと~」の方は、氏の専門である神経生理学やシステム薬理学を、おもいっきり週刊誌ネタまで引き下げたテーマに落として、エッセイとして語ってしまったという大胆不敵な一冊です。

どのくらい引き下げたかというと、Amazonの紹介文にこう書いてます。

「恋愛、ダイエット、不眠、ド忘れ、ストレス、アルコール…脳のすごさがわかった!」

確かにそういう内容もでてきます。が、アプローチとしては脳科学専門誌に発表されている最新の研究論文を挙げながら、例えば身近な例でいうと・・・ということで、不眠やら恋愛やらに絡めて解説する、という方法です。

この、「こうすればダイエットになる!」とか、「ストレスに効く!」というようなネタ自体が、ワタクシ苦手でございます。こういう、いかにもおばちゃんが喜びそうなネタに拒否反応が出るのです・・・きっと自分がもうちょっとマシな人間だと思いたいからです。しょうもないプライドが邪魔をするのでしょう。

このような「しょうもないプライド」を、どうやら池谷先生はお持ちではないようです。
最新の脳科学の研究からわかった最先端の知見を、こともあろうに「恋愛」やら「ダイエット」をテーマに解説するとは・・・おそらく専門家たちからは煙たがられる存在でしょう。しかし氏はそんなことは全く気にせず、どうしたら専門家の視点をブレイクスルーして、一般人(もっというと中高生)の、脳やこころに対する知的好奇心に応えられるか、ということを常に意識されているようです。

本書で初めて知ったことも色々とあるのですが、特に興味深かったのは「記憶」の構造です。脳へのインプット→記憶HDDへの保存、までは理解できますが、その保存したファイルを取りだして再生するときに「書き換え」や「消去」が起こるとは。「再生(つまり復習)」が「記憶の強化」には効果大、とだけ思い込んでいましたが、いいかげんな再生をすると、せっかく記憶したものが改ざんされたり消されたりするのですね。

あと、睡眠と記憶の関係性も興味深かったです。
一晩寝ると勝手に頭が整理されることは誰でも実体験で知っていることですが、レム睡眠の間に「起きている間のことを超早送り再生する」ことで記憶HDDに書き込んでいっている、ということは初めて知りました。おもしろいですねー。

このあと、氏の著書を何冊か読み進むことで、もう少し研究の中心部分に近づけたらと思います。
池谷先生、私と同い年です。写真を拝見すると、髪ボサボサの童顔に大きな黒ぶちメガネ、手にするマーカーで描いているのは詳細な脳地図、いかにも脳科学研究者ぽいです(笑)。
しかし、自身の研究に対する信念がよほど深いのでしょう、でなければこんな柔らかテーマで本は書けないと思います。

村上 春樹「走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)」 ★★★☆☆

村上 春樹「走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)」

きっかけ=内田先生ブログ(2011.9.29付け)の推薦本の中にあった一冊。Amazon購入。

村上春樹はノルウェイ以外読んだことがなく(たぶん)、何から読えばいいのかわからなかったのだがちょうどよかった。

ランナーとしての自分と、走るという行為を通じて語る作家としての自分、が交互に語られる。
かなり達観しているというか、達観した上で此方に戻ってきている感があり、それが走るという行為を語ることで語るというのが面白い。

禅と似たものを感じる。
「禅を語る」ことはできないが、「禅について語るときに私の語ること」は、禅そのものを語ることにつながる。

走ることも同じなのだろう。
悟ったら戻ってくるのも禅(十牛全図)と同じだ。

西原 理恵子「この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)」 ★★☆☆☆

西原 理恵子「この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)」

きっかけ=piyoおすすめにて購入

サイバラ氏の過酷な経験から導かれた「カネ」にまつわる人生哲学本。
自分探し中の若者向け。

ちょっと期待しすぎたせいで、思ったより普通だなという印象だったが、何より自分自身の流した血と汗から書かれているので、究極にリアリティがある。

特におもしろかったのは大学時代、カネのために出版社に持ち込み営業をかけまくり、どうしたら稼げるかで自分の価値を高めていったところ。
悩んだら「カネになるか」で判断したらいいというのはなるほどごもっとも。

解説が勝間和代氏で変な感じ・・・解説でも惜しみない勝間氏。いつもなんでも惜しみない。

田丸 公美子「目からハム シモネッタのイタリア人間喜劇」 ★★☆☆☆

田丸 公美子「目からハム シモネッタのイタリア人間喜劇」

きっかけ=piyoに借りて

処女作「パーネ・アモーレ」と比較すると、お得意のセクシーネタは少なくなりちょっと寂しい。

処女作から7年を経過してご自身の「女性の魅力」も小野小町状態になり、
以前はあれこれ世話を焼いてくれたイタリア男たちが、最近は駅で荷物も持ってくれないことを嘆くと、
旦那様に「変わったのはイタリア男じゃなくて君だよ」と指摘されてしまうなど、還暦を超えた女性ならではのユーモアもたっぷり。

日本語の読み書きができない人が増えていることについて、幼児期には外国語より日本語とその歴史をしっかり理解しないと「根なし草になってしまう」というご指摘にはまったく同意。
横綱級の通訳のセリフは説得力あるなあ。

タイトルの「目からハム」は、「目からウロコ」のイタリア語訳とのこと、さすがイタリア。
本書のタイトルを見たときは、公美子の「公」の字のことかと思った。

田丸 公美子「パーネ・アモーレ―イタリア語通訳奮闘記 (文春文庫)」 ★★☆☆☆

田丸 公美子「パーネ・アモーレ―イタリア語通訳奮闘記 (文春文庫)」

きっかけ=piyoに借りて

イタリア語通訳の大横綱と称される同氏の処女エッセイ。

「女性には口説くのが礼儀」というイタリア男のおもしろエピソード満載で、それに負けずウィットに富むセクシーネタのおかえしをかますのは、まさに”シモネッタ”の異名を授かった同氏ならでは。

過去の妙訳の手柄披露や息子自慢は鼻につくところもあったが、私もローマ旅行をしたときに、一人で歩いていて道行くイタリア男たちと目が合うとほぼ100%ウィンクされたり、ガイドブックを見ていると「どこに行きたいの?」と声をかけられたりしたことを思い出し、楽しく読み進む。

米原万里氏の解説がまた傑作。米原氏の著作を読んでみたくなった。

三浦 知良「やめないよ (新潮新書)」 ★★★☆☆

三浦 知良「やめないよ (新潮新書)」

きっかけ=いつか出るだろうと思ってました。Amazonで購入。

愛読しているカズの日経連載コラム5年分を集めたもの。

いつもコラムを読むたび深い共感と尊敬を新たにするが、
改めてまとめて読んでみて、こんなにサッカーのことばかり書いていたのかという変な驚き(もっとビジネス教訓が多いような勘違いをしていた)と、
軽いノリ(ほぼ毎回「○○だね」で終わる)が意外だった。
「やめないよ」というタイトルも、最初は変だと思っていたが、こうやってまとめて読んでみると、いかにもカズらしい。

内容は後半に近づくに従って自分や他人に対するシビアさやユーモアが出てきて痛快。
44歳にして、去年より今年の方がサッカーがうまくなっていると本気で言っているカズ、心底すごい。

「持っている」という言葉が嫌いなことは以前から書かれている。
「持っている」のではなくて、今まで毎日やってきたことの結果であり、偶然はない。それは1996年のW杯で自分が選ばれなかったことも同じ、と自分で言えるということ、やっぱり素晴らしいです。