カテゴリー : ★★☆☆☆

「親鸞 生涯と教え」 ★★☆☆☆

親鸞 生涯と教え

きっかけ=浄土真宗への興味から入門書を探し、ネット検索で見つけて購入。

変わった本を買ってしまいました。800円って安いな~と思いながら、でも「東本願寺出版部発行」ってことは、色気も何もない正統派だろうし、浄土真宗の教えを最初に学びたい人向けだろうと思って、ネットで購入しました。すると、これは教科書ですね。おそらく、大谷大学の中等部で授業に使われているのではないでしょうか。

内容は120ページほどで、親鸞の誕生から比叡山での修行を経て法然に帰依し、越後への流刑生活、関東での教化活動、そして京に戻って執筆を続け、入滅までを追う形で、親鸞の教えを語っています。


親鸞は西暦1200年頃、鎌倉時代に生きた人です。日本では最も信者が多い浄土真宗の開祖なので、なんとなくもっと後代の人のような印象があるのですが、生まれたのはまだ平安時代であり、そう考えると本当に昔々の人だなあと思います。親鸞の教え自体は脈々と受け継がれていても、親鸞その人自身のことはあまりわかっておらず、親鸞の妻・恵信尼が子どもたちに書き送った手紙などからわかることを元に、親鸞がどのような人生を送ったのか、綴られています。


中学生向け(おそらく)なので、かなり読みやすい内容及び文体ですが、流刑中の越後での生活の描写などは特にしっかりとした記述で、大人が読んでも考えさせられるものでした。

文字を読み書きすることも知らず、厳しい環境の中で、萌え出ずる雑草のように生きる人々の姿である。あるものは海や川で漁を行い、またあるものは田畑を耕して作物を育て、誰もがその日一日を必死に生きようとしていた。そのような姿を目にした親鸞は、あらためて人間が生きるということの厳しさを思い知らされたのである。そればかりか、生き延びるためにはたとえ悪事とされていることであっても、あえて行わなければ生きていけないという現実は、親鸞にとって大きな衝撃であった。(p.74)

なんとなく、この越後での流刑生活を経て、親鸞の教えが唯一無二のものになったのではないか、ということが想像されます。


教科書ならではのものとしては、途中にちょいちょい「視点」というコーナーがあって、「私たちは多くのつながりの中で生きている。親しい友だちとの関係もあれば、恋人との関係もあるだろう。(中略)何によっても壊れない確かな人間の関係は、どのようにしたら生まれるのだろうか。今一度考えてみてほしい。」というような文章が出てきます。ちょっと笑ってしまわざるを得ないのですが、まあ学校の授業ではこういうテーマで、話し合ったり文章を書いたりしているのでしょう。笑ってはいけませんね。


ありがたいことに、この一冊でだいたいの親鸞の人生はわかりました。というわけで、このあと、いよいよ「歎異抄」を読みます。

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五月女 ケイ子「五月女ケイ子のレッツ!!古事記」 ★★☆☆☆


五月女 ケイ子「五月女ケイ子のレッツ!!古事記」

きっかけ=友人Kさんにお借りして

最近日本の神様にハマっているというKさんからお借りしました。
超シュールなマンガで古事記(上巻)を語っています。

古事記もいつかきちんと読んでみたいとは思っているのですが、マンガということもあり、非常に楽しく読みました。
有名な「稲葉の白ウサギ」や「天の岩屋戸」などのお話も出てきます。


各ページの下の方に、著者の五月女さんと「オロチ博士」とのやりとりがあり、これもおもしろいです。
例えば、イザナミが多くの神を産んだシーンのページには、

五月女「吐しゃ物や小便、大便からも神が生まれるなんて、すごい発想ですね?」
オロチ博士「大便や小便や吐しゃ物、体から出るすべてのモノが、イザナミの分身なのです。」

というような、オロチ博士の解説があります。


古代の神様を描いた書物は、古事記に限らずギリシア神話、旧約聖書の神様、ヒンドゥーの神様も、ものすごく身勝手で傍若無人、さらにアチラ方面しか考えていないような神様も数多く出てきますが、科学で世界を理解しようというモチベーションのなかった時代、因果不明で暴力的なこの世界と付き合っていくために、人間のの理解や常識をはるかに超えた神様のなせる仕業として、畏れ受け入れるしかなかったのだと想像します。


以前、ヒンドゥー教の聖典「マハーバーラタ」の一部、「バガヴァッド・ギーター」を読んだことがありますが、似たような印象を受けました。ギーターは物語であり哲学書ですが、おそらく古事記もきちんと読むと哲学に通じるのではないかと期待します。
改めて、近いうちに古事記の原典も読んでみたいと思いました。


※せっかくなので、8年くらい前に読んだギーターのレビューも、アップしておきます。

池谷 裕二「脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)」 ★★☆☆☆

池谷 裕二「脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)」

きっかけ=piyoからお借りした一冊。

脳科学者、池谷祐司先生の「脳科学エッセイ」。
氏の著書は初めて手に取りました。いま二冊目「進化しすぎた脳」を読んでいるのですが、ちょっと読む順番を間違えたような気がします。先に「進化~」を読んだ方がよかったかな。

「脳はなにかと~」の方は、氏の専門である神経生理学やシステム薬理学を、おもいっきり週刊誌ネタまで引き下げたテーマに落として、エッセイとして語ってしまったという大胆不敵な一冊です。

どのくらい引き下げたかというと、Amazonの紹介文にこう書いてます。

「恋愛、ダイエット、不眠、ド忘れ、ストレス、アルコール…脳のすごさがわかった!」

確かにそういう内容もでてきます。が、アプローチとしては脳科学専門誌に発表されている最新の研究論文を挙げながら、例えば身近な例でいうと・・・ということで、不眠やら恋愛やらに絡めて解説する、という方法です。

この、「こうすればダイエットになる!」とか、「ストレスに効く!」というようなネタ自体が、ワタクシ苦手でございます。こういう、いかにもおばちゃんが喜びそうなネタに拒否反応が出るのです・・・きっと自分がもうちょっとマシな人間だと思いたいからです。しょうもないプライドが邪魔をするのでしょう。

このような「しょうもないプライド」を、どうやら池谷先生はお持ちではないようです。
最新の脳科学の研究からわかった最先端の知見を、こともあろうに「恋愛」やら「ダイエット」をテーマに解説するとは・・・おそらく専門家たちからは煙たがられる存在でしょう。しかし氏はそんなことは全く気にせず、どうしたら専門家の視点をブレイクスルーして、一般人(もっというと中高生)の、脳やこころに対する知的好奇心に応えられるか、ということを常に意識されているようです。

本書で初めて知ったことも色々とあるのですが、特に興味深かったのは「記憶」の構造です。脳へのインプット→記憶HDDへの保存、までは理解できますが、その保存したファイルを取りだして再生するときに「書き換え」や「消去」が起こるとは。「再生(つまり復習)」が「記憶の強化」には効果大、とだけ思い込んでいましたが、いいかげんな再生をすると、せっかく記憶したものが改ざんされたり消されたりするのですね。

あと、睡眠と記憶の関係性も興味深かったです。
一晩寝ると勝手に頭が整理されることは誰でも実体験で知っていることですが、レム睡眠の間に「起きている間のことを超早送り再生する」ことで記憶HDDに書き込んでいっている、ということは初めて知りました。おもしろいですねー。

このあと、氏の著書を何冊か読み進むことで、もう少し研究の中心部分に近づけたらと思います。
池谷先生、私と同い年です。写真を拝見すると、髪ボサボサの童顔に大きな黒ぶちメガネ、手にするマーカーで描いているのは詳細な脳地図、いかにも脳科学研究者ぽいです(笑)。
しかし、自身の研究に対する信念がよほど深いのでしょう、でなければこんな柔らかテーマで本は書けないと思います。

ニコルソン ベイカー (著), 岸本 佐知子 (翻訳) 「もしもし (白水Uブックス―海外小説の誘惑)」 ★★☆☆☆

ニコルソン ベイカー (著), 岸本 佐知子 (翻訳) 「もしもし (白水Uブックス―海外小説の誘惑)」

きっかけ=ちょっと笑いたい気分だったので、piyoからお借りした本からこちらをチョイス。

男性と女性の電話の会話だけで全編構成されている小説。しかもその二人の会話は「テレホンセックス」。
帯に「前代未聞!」って書いてます。本屋でこの帯を見たなら手に取ることはなかったと思いますが、piyoの書評で面白そうと思い、お借りしました。

短編というわけでもなく、まさかこの小説全編でやーらしいことばっかり話せるわけがないと思っていたら、やーらしいことばっかり話してました(笑)
まあいやらしいといっても電話での会話というのがミソで、結局は二人がいやらしい行為に及んでいるわけではなく、空想上の性ファンタジーなのです。
話はしょっちゅう脱線しまくり、昨日あったことを話している途中にいきなり空想の世界に飛んでいきます。

この、いきなり飛んでいくあたり、実は少々私の苦手分野です。
外国文学ってどうして、空想上のことが異常に具体的なんでしょう。
この小説なら、電話の相手の彼女は小さなアクセサリー店のセンスと腕のいい技術工で、ある日そこに食器洗浄機でうっかり傷をつけてしまった銀のスプーンを修理してもらいたいという男性客が来店する、という挿話が出てくるのですが、これがすべて電話相手の男性の空想物語で、“小さなアクセサリー店”すら実在しません。
赤毛のアンかい!と突っ込みたくなるのですが、こういう話の延長でエッチなあんなことやこんなことに発展してゆきます。

まあ本物のエロ小説ではないので、二人の電話での会話だけから成り立つ性ファンタジーの、あっちにいったりこっちにいったり、その阿吽の呼吸こそが妙味であり笑えるポイントでもあります。
でも、もともと外国文学のファンタジーものが苦手な私なので、星は少なめになってしまいました。

piyoの評では、この翻訳はお見事!らしいですよ。
英語がわかる人でないと妙訳に感動もできないものだな、とションボリ(当たり前か)。

塩野 七生「ローマ人の物語〈21〉〈22〉〈23〉危機と克服 (新潮文庫)」 ★★☆☆☆

ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)

ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈23〉危機と克服〈下〉 (新潮文庫)

きっかけ=長い「ローマ人の物語」もちょうど真ん中。ライフワーク的に読み進めます。

悪名高き皇帝ネロの死後、血統による正当性を失った帝位をめぐる乱世時代から五賢帝時代のとっかかりまで。

混乱に乗じたゲルマン、ガリア民族の蜂起に対する鎮圧のあと、常識人ヴェスパシアヌス帝とそれを支えたムキアヌスの取った戦後処理がいかにも古代ローマ人らしい。勝者敗者ともに「何もなかったことにする」で通したのだ。

敗者に対する略奪や奴隷化もなく(結果、勝者には報償がないことにもつながる)、裏切り者に対する処罰もなく、とにかく元の場所に戻って元通りの生活をすればよし、壊れたところは直す、でやり通して帝国崩壊の危機を乗り切った。
これが現代ならばどうだろうか。

また、この章ではユダヤ人の反乱と徹底した鎮圧(イエルサレム陥落、マサダの玉砕)も出てくる。塩野氏は多神教のローマ人から見た一神教ユダヤ人を「正しく断罪」しているので、ユダヤ人の筆による嘆きが前提ではない分、ユダヤの客観的な特殊性がよく理解できる。

長い歴史でユダヤ人だけが重税を課されたり住区域を指定されたりしてもなぜ黙って耐えていたのか、今までずっとわからなかったが、ユダヤ人が非常に特殊であり、(少なくとも古代ローマでは)その特殊性を許し特別扱い(例えば毎土曜は仕事を休み、軍役も免除)することの代償だったのだと理解。

また、同時代人には「記録抹殺刑」で断罪されたドミティアヌス帝の所業をいつもながら丁寧に再評価しているが、文中塩野氏が「私の書くローマ史は、学者の書くローマ史ではなくて作家の書くローマ史」と定義している部分が面白い。

歴史家は歴史上の書物をそのまま「証拠」として遇するが、作家である塩野氏は「書物はしょせん主観的な物の見方から逃れられない“人間”が書いているもの」と捉え、皇帝やその所業を評価するにあたっては、古代人の書物に残る史実も「この人が見たいように見たもの」として参考にはすれ、判断基準としては採用しない。
塩野氏が物差しとしているのは、「そのあとに続いた皇帝たちが同じ政策ないし事業を継承したか否か」であるとのこと、なるほどと思う。
その判断基準ならば、ドミティアヌスは大いに評価すべき皇帝であったのだ。

現イギリスが40年もかかって中途半端に征服されたことについては、その後のローマ元老院でもほとんど登用されなかった古代イギリス人たちに同情(?)して、「ローマに征服されるのならば、クラウディウスではなくて、カエサルに征服してもらうべきだったのだ」とは笑った。

五木 寛之「親鸞(上)(下) (講談社文庫)」 ★★☆☆☆

五木 寛之「親鸞(上) (講談社文庫)」

五木 寛之「親鸞(下) (講談社文庫)」

きっかけ=最近「親鸞-激動編」の新聞広告を目にして、既刊の文庫版の方を近所の書店で購入。

五木氏の著作は以前「他力」を読んだがあまり印象に残っておらず、なんとなく合わなかった気がしたのだが、今回も同じような印象が残った。
バリバリの大乗仏教の、しかも親鸞聖人の物語であり、かなり個人的興味のあるジャンルなのだが、いまひとつ乗り切れないのは五木氏の筆が写実性よりエンタテインメント性を重視しているからだと思う。

この章では親鸞の生い立ちから叡山修行時代を経て下山のあと法然に師事し、市井の人々に念仏即往生を説きはじめるが徐々に浄土宗への弾圧が強まり、法然が土佐、親鸞が佐渡に流刑となるまでが描かれている。

そもそも聖人物語なるものは真実と伝説の区別が難しいが、さらに五木氏による大胆な創作も追加されているので、どこまでが事実なのかさっぱりわからない。
残虐極まる黒面法師が親鸞の妻、紫野の両目を針で潰そうとした瞬間、どこかに潜んでいたツブテの弥七が放った小石が針をはじきとばす、などの演出は、これで盛り上がる人もいるのかもしれないが、私などは興ざめてしまう。

法然に帰依することになったきっかけ(後に妻となる紫野が救世観音に化身し吉水に導く)も、半分は五木氏の創作だが、そこが創作であればなおのこと、矛盾を乗り越え身も心も帰依するに至った過程はもっともっと矛盾に引き裂かれる姿を丁寧に描いてほしかったし、叡山では自らの煩悩を乗り越えるため、異常な激しさで身を削り行を修め、欲望も振り切ってきたにも関わらず、妻帯するときのその安易さは何?とやや肩すかしだったり。

有吉佐和子さんが描くような、写実的な親鸞を読みたいんだけどなあ・・・と、ないものねだり。

塩野 七生「日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書)」 ★★☆☆☆

塩野 七生「日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書)」

きっかけ=「リーダー篇」に続けて本書を読む。

リーダー篇と同じく文藝春秋連載のこちらは2006年10月~2010年4月掲載もの。
政権は小泉から安倍へのバトンタッチから始まり、民主党の事業仕分けまで。

小泉改革路線の熱が冷めた混迷期であり、塩野氏のイライラもMAXだが、「価格破壊に追従しない」や「仕分けされちゃった私」を読むと、ああ本当にこの人は保守的だな、私も保守派だけど、年齢の差もあろうが、ここまでではないな、と思うこともあった。

横道にそれるが、CDシングルの年間売上5位までを(人気投票権などが主目的の)AKB48が独占した今年は、名実ともに「CDが死んだ年」として日本音楽史に刻まれるであろうと予測しているが、その時代において、これまでも変わりなく誇りを持って「CD」という作品を作り続けるか、まったく違う価値観で「CD」を活用するか・・・どちらもアリだと思う。
塩野氏(や山下達郎)は前者のタイプであり、私も敬愛し支持するが、後者のタイプが出てきたときも聞く前から否定せず、まずは聞く耳のある人間でありたい。

話は戻るが、塩野氏の「戦争」や「武力」に対する本質的なコメントはいつも鋭い。
塩野氏の文章に親しむとともに、武力というものが歴史的にいかに権力と密接に関わってきたか(武力のない権力はないも同然)、武力はいかに質と量で換算可能なものか(善悪とは全く異なる、定量的なもの)など、私を含めた日本人はそういう認識が薄いことを痛感する。
暴力と武力はまったく違うものだが、その区別が私を含めた日本人はあまり明確ではない。