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遠藤 周作「私のイエス―日本人のための聖書入門 (ノン・ポシェット)」 ★★★☆☆


遠藤 周作「私のイエス―日本人のための聖書入門 (ノン・ポシェット)」

きっかけ=書店でなんとなく。パラパラ読んでよさそうに思ったので。

キリスト教の作家として有名な遠藤周作氏ですが、著書は一冊も読んだことがありませんでした。本書の冒頭で遠藤氏はこう書いています。

=この本を読まれる方に=
皆さんは、キリスト教の本なんて嫌いでしょう。聖書も敬遠したくなるでしょう。
それを承知で、牧師でも神父でもない私が、こんな本を書きました。
(略)
私がかつて若かったころ、ひじょうに無味乾燥、荒唐無稽に思えた聖書を、その地点から皆さんと一緒に読んでみたいと思うのです。

おもしろいですね。
宗教というだけで偏見を持つ九割の日本人に対して、わたしもそうでした、その地点から一緒に読みましょうと呼びかけているのです。


本書は新約聖書に対する遠藤氏独自の解釈であり、信仰告白ともいえます。
教会で牧師さんが話す内容とは違いますし、場合によっては異端扱いを受けるような思想です。
キリスト教を信じる、ということは、イエスの行った数々の奇跡や、その復活について、「すべて事実である」とすることが根幹です。
しかし遠藤氏は、いわゆる水を酒に変えたとか、パンが無尽蔵に増えたとか、触れるだけで歩けるようになったとか、死者を蘇らせたとか、そういうことが「奇跡」なのではなく、本当の「奇跡」は別のところにある、と指摘します。


本当の「奇跡」とは何か。その疑問を解く鍵として、遠藤氏はイエスの死の前と後での弟子の変貌ぶりを指摘します。
あまり聖書になじみのない人でも、イエスの弟子がその死の前までは、イエスの教えを本当に理解していなかったことは知っているでしょう。
裏切り者のユダだけでなく12人の弟子全員、一番弟子のペトロさえも、イエスの逮捕の場面においては「わたしは知らない」と言い、イエスを見棄てて逃げたのです。
にも関わらず、その後弟子たちはまるで生まれ変わったかのように、迫害に耐えて主イエスの教えを広め、ほとんどが壮絶な殉教を遂げています。ペテロは逆さ磔刑、全身の皮を剥がれて死んだ弟子もいます。
このことを、遠藤氏は「聖書最大の謎」だと指摘しているのです。


この「聖書最大の謎」を、遠藤氏は独自の大胆な解釈をもとに、丁寧に紐解いてみせます。
ひとつひとつ解説をされると、そうとしか考えられないことばかりです。まさに目からウロコ、という感じです。
ここで謎解きをするのはもったいないので、ぜひ本書を手に取っていただきたいのですが、確かに今まで「ひじょうに無味乾燥、荒唐無稽に思えた聖書」が、この現代でも起こりうるリアルな物語としてムックリと立ち上がってきます。


遠藤氏は誠実にも、独自の大胆な解釈を披瀝した第2章のあとの第3章で、ある意味つまらない「現代日本人のキリスト教に対する誤解を解くための解説」をしています。なんとも人間くさいというか、子どものころからの彼の成長における、そして日常の生活における氏のキリスト教観がヒシヒシと伝わる一章です。バースコントロール、離婚、自殺についても丁寧に説明しています。


最後に、キリスト教とほかの宗教とのちがいについて、こう述べています。
「キリスト教は何の現世的な利益も与えない。母親が病気のこどものためにどれだけ祈っても子どもは死んでしまう。母親は『神も仏もないものか』と絶望する。その絶望の地点から、それでもなお、神の意味を認めるということ。」
ここまでの彼の著述で、「神の意味」とは「奇跡」のことであることがわかります。では「奇跡」とは何か。本書で「聖書最大の謎」を解き明かすことによって、それが浮かび上がってきます。

中野 京子「名画と読むイエス・キリストの物語」 ★★★☆☆

中野 京子「名画と読むイエス・キリストの物語」

きっかけ=たまたま本屋さんで見かけて、よさそうな気がして購入。

かつて通っていたキリスト教系の大学は、キリスト教について学ぶことが重要視されており、4年間の必修キリスト教学で聖書(旧約・新約)をひととおり学ぶことができました。でも、聖書に出てくる話は、断片的には知っていても、つながりを忘れてしまったり、すっかり忘れていることも多くて、改めて読んでみたいなあと思っていました。

本書は「名画と読む」と題されているように、目的が聖書の解釈を深めることではなくて、ヨーロッパの宗教画をより楽しみましょう、ということです。明快ですね~!こんな風に、誰それさんの解釈ではなく、スルリとそのままの物語を読めるものは、案外とありません。入門者向けのものになると、なぜかデアゴスティーニ風のカラーチャートや図解になって、見開き2ページでひとつのテーマごとに解説する、というスタイルになってしまうのはなぜなんでしょう。

「はじめに」で、本書の意図を説明し、地図をもとにイスラエルの風土、歴史、ユダヤ教、受難、当時の支配はローマ帝国であることなどの時代背景をサラリと説明したあとは、第一章はきっちり「受胎告知」から始まります。乙女マリアのもとに天使ガブリエルが舞い降り、彼女が神の子を身ごもったことを厳かに告げる。この「受胎告知」は、四つの福音書の中でもルカによる福音書にしか記述がないはずです。聖書にはあちらには記述があってもこちらにはない、または矛盾したことが書かれている、というものが数多くありますが、それらすべてを真実とするのがキリスト教なので、色々な解釈も生まれます。しかし、本書はそういう難しいことは横に置いて、とにかく聖書に記述があることで絵画のテーマになっていることを、流れに沿って淡々と物語ってゆく、というスタイルをとっています。

取り上げられている絵画はフラ・アンジェリコ「受胎告知」、ティツィアーノ「悔悛するマグダラのマリア」など、一度はどこかで見たことのある作品。欲を言えば、この絵画のサイズが小さいものも多かったので、ページいっぱいに掲載してほしかったかなーと。といっても普通の書籍サイズなので、大きくしてもそこまでですが。ま、ちゃんと見たい人は画集で見てね、ってことですね。

ひととおり読んで、久々に聖書を開く意欲も湧いてきました。宗教には興味が尽きません。しかし、いま興味があるのは新約より旧約聖書です。あの恐ろしい神と不可解な人間の行動、解釈も様々です。旧約を題材にした絵画も非常に多いので、著者の中野さんにはぜひ旧約版も書いていただきたいのですが、無理でしょうか・・・。旧約こそ、図解チャートみたいなものさえほとんど存在せず、困っております。