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内田 樹「ひとりでは生きられないのも芸のうち」 ★★☆☆☆

内田 樹「ひとりでは生きられないのも芸のうち」

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賢太の毒が頭にまわっていたのだが、内田先生でちょっと常識モードに戻る。
今回もブログ既掲文の寄せ集めなので、テーマに沿った一貫性はない(テーマは後付け)。

今回も2か所、どうしても頁角を折らざるを得ない部分あり。
メディア論にも出てきたTVに対する新聞の批判性のなさ、メディア界の内側にいながら「知らなかった」顔をする恥知らずな態度への怒りと嘆き。
「わたしはそれにコミットしていませんよ、だって知らなかったんだから」という言い訳の遣るかたなさ。

「『それでもテレビはないよりはあった方がいいものだから、10%の貴重な情報を自ら判断し受け取るべし』 頼むから誰かそう言ってくれ」という叫びは悲痛だが、それでも既存メディアに期待も残してるのかなと感じる。

もうひとつは「愛神愛隣」。おお久しく忘れていた我が母校建学の精神。
自分を愛するように隣人を愛せとは、在学中はひょっとも疑問を持たなかったが、自分を愛するように隣人を愛するとは如何なる也。

自分を愛するとは自分が未熟、無知であることを知り、未熟と無知を自分本来と弁えて(本当の自分はこうじゃない、とは思わずに)、許容する(それとして生きる)ということ。
それと同じように隣人を愛するとは、他者の無知、未熟、矛盾を許し、それとともに生きるということ。

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内田 樹「街場のマンガ論」 ★★☆☆☆

内田 樹「街場のマンガ論」

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ブログの寄せ集めなので、網羅性はなく、内田先生の好きなマンガをネタにしたと日本人と日本語論、という感じ。

内田 樹「下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)」 ★★★☆☆

内田 樹「下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)」

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最初の経験が「労働」でなく「消費」であるために、
「就学以前に消費主体としてすでに自己を確立している」現代の子どもたちは、
すべてもののを等価交換しようとする態度をとる。

勉強するということの対価を見いだせない子どもたちは、積極的に「学び」から逃走する。
同じく労働に対する対価(=給与)が等価ではないため、積極的に労働からも逃走する。

これは日本の均質化社会が米的個人主義(=自己責任主義)を礼賛したために生じたシステムの弊害であり、
弱者必負→孤立化が進むことによって社会が階層化する(弱者は弱者としてしか生きてゆけない、というか、死ぬしかない)。

現在の教育の荒廃、ニートの増加について、確かにそういう側面もあるとは思うが、
学者的な分析という感も否めない。

子どもの不勉強は、友人同士の階層化とその階層内でのいじめの陰惨化によって、「教師側」ということを察せられるわずかな身振りも許されない学校社会が生んだ弊害ではないかと思うがどうか(内田氏の「等価交換説」よりも)。

ニートを助けたいとは思わない(やはり自分のせいでしょと思う)私は、やはり米的価値観に脳味噌が冒されているのだろうか。

内田氏は「ニートは労働して少ない対価を得るよりもニートである方が自己に対する納得性が高いためにニートという生き方を選んでいる」と論じているが、
ニートが自己責任として選択的にニートになっているとは思えない。
社会のせい、まわりのせいでニートになったと思っている(自分の人生を自分で引き受けない態度)のではないだろうか。

 

※後日付記:読後すぐは上述のような感想を持った私だが、それから半年の日常生活を送っているうちに「下流志向」の指摘は鋭いと感じることが多々あった。
今では内田先生の等価交換説なしには教育荒廃とニート問題は語れないというのが私の意見です。

内田 樹「街場の現代思想 (文春文庫)」 ★★★★☆

内田 樹「街場の現代思想 (文春文庫)」

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悩み相談へのお答え形式のため、街場シリーズの中では柔らかい部類だが、
回答は内田先生らしく真理により近いアプローチで述べられている。

結婚はつまるところ損か得かという質問に対する答えはまさに真を得ている。
「結婚」は快不快でいうと不快以外の何物でもなく(それは主に相手の親族との人間関係による)、
子どもは不快な他者の最たるものであるが、
結婚とは快楽を求めることではなく、
この「他者との共生し続ける」ことの「受難」こそが、結婚(人生の選択)の意味である。

「人間を真に『人間的』なものたらしめているのは快楽ではない。『受難』である」
との喝破に膝を打つ。

さらに橋本麻理氏の解説が切れ味よい。
負け犬が文化資本の担い手であることは本書でも述べられていたが、
四十代負け犬が「快楽を享受」し、「文化資本」を後天的にたっぷり得た女性たちは、
当然の帰結として「人間を真に人間的なものたらしめている」子どもという「不快な他人」を育てることや、
寄付やボランティアという形で社会や他人に還元せざるを得なくなり、
「四十代負け犬出産ブーム」が起こるという、私のことを言っているのですかというような指摘。
私も負けが込んでいるようだ。

もうひとつ。
「自分がやろうとしていることを世の中の人全員がやったらどうなるか」という自問が、
その行為の倫理性の判断基準になるとの指摘。
なるほどそのとおりだ。
「どうして人を殺してはいけないんですか」と聞く者は、自分の喉元にナイフを突き立てられて同じ質問を唱和できるか。

内田 樹「街場のアメリカ論 (文春文庫)」 ★★☆☆☆

内田 樹「街場のアメリカ論 (文春文庫)」

きっかけ=piyoに借りて。

アメコミの「理解されない正義のヒーロー」を米の世界関係との投影に、日本マンガの「モビルスーツで戦う少年」を米日関係になぞらえた点など、なるほどと思える視点が満載だが、やや米に対する口調が軽蔑的であり今ひとつの感想。

内田 樹「増補版 街場の中国論」 ★★★☆☆

内田 樹「増補版 街場の中国論」

きっかけ=piyoに借りて。

読んでみて、私はほんとに中国(だけじゃないが)の近現代史がわからないと痛感、反省。
しかし本書のおかげでなんとなく少しわかった(ような気になった)。
本来はまずは教科書的なことだけでもわかってから読まないと・・・。

「儒教圏」構想はおもしろい。
それに対するアメリカの立場は、なるほど、こういう視点の取り方があるのだ・・・と非常に勉強になる。

内田 樹「街場のメディア論 (光文社新書)」 ★★★★☆

内田 樹「街場のメディア論 (光文社新書)」

きっかけ=piyoに借りて。

共感多く、読みながら肯首すること度々。

TVや新聞の自己反省の欠落、メディア同士の批判の欠落、イノセンスぶり、弱者への肩入れに徹するために失われる本来の中立的視点による批判的態度→自己責任を欠けたクレーマーを生み、教育と医療の現場を荒廃させたという指摘、何度も肯首。

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