タグ : 塩野 七生

塩野 七生「ローマ人の物語〈21〉〈22〉〈23〉危機と克服 (新潮文庫)」 ★★☆☆☆

ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)

ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈23〉危機と克服〈下〉 (新潮文庫)

きっかけ=長い「ローマ人の物語」もちょうど真ん中。ライフワーク的に読み進めます。

悪名高き皇帝ネロの死後、血統による正当性を失った帝位をめぐる乱世時代から五賢帝時代のとっかかりまで。

混乱に乗じたゲルマン、ガリア民族の蜂起に対する鎮圧のあと、常識人ヴェスパシアヌス帝とそれを支えたムキアヌスの取った戦後処理がいかにも古代ローマ人らしい。勝者敗者ともに「何もなかったことにする」で通したのだ。

敗者に対する略奪や奴隷化もなく(結果、勝者には報償がないことにもつながる)、裏切り者に対する処罰もなく、とにかく元の場所に戻って元通りの生活をすればよし、壊れたところは直す、でやり通して帝国崩壊の危機を乗り切った。
これが現代ならばどうだろうか。

また、この章ではユダヤ人の反乱と徹底した鎮圧(イエルサレム陥落、マサダの玉砕)も出てくる。塩野氏は多神教のローマ人から見た一神教ユダヤ人を「正しく断罪」しているので、ユダヤ人の筆による嘆きが前提ではない分、ユダヤの客観的な特殊性がよく理解できる。

長い歴史でユダヤ人だけが重税を課されたり住区域を指定されたりしてもなぜ黙って耐えていたのか、今までずっとわからなかったが、ユダヤ人が非常に特殊であり、(少なくとも古代ローマでは)その特殊性を許し特別扱い(例えば毎土曜は仕事を休み、軍役も免除)することの代償だったのだと理解。

また、同時代人には「記録抹殺刑」で断罪されたドミティアヌス帝の所業をいつもながら丁寧に再評価しているが、文中塩野氏が「私の書くローマ史は、学者の書くローマ史ではなくて作家の書くローマ史」と定義している部分が面白い。

歴史家は歴史上の書物をそのまま「証拠」として遇するが、作家である塩野氏は「書物はしょせん主観的な物の見方から逃れられない“人間”が書いているもの」と捉え、皇帝やその所業を評価するにあたっては、古代人の書物に残る史実も「この人が見たいように見たもの」として参考にはすれ、判断基準としては採用しない。
塩野氏が物差しとしているのは、「そのあとに続いた皇帝たちが同じ政策ないし事業を継承したか否か」であるとのこと、なるほどと思う。
その判断基準ならば、ドミティアヌスは大いに評価すべき皇帝であったのだ。

現イギリスが40年もかかって中途半端に征服されたことについては、その後のローマ元老院でもほとんど登用されなかった古代イギリス人たちに同情(?)して、「ローマに征服されるのならば、クラウディウスではなくて、カエサルに征服してもらうべきだったのだ」とは笑った。

塩野 七生「ローマ人の物語〈17〉〈18〉〈19〉〈20〉悪名高き皇帝たち (新潮文庫)」 ★★★☆☆

ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈18〉悪名高き皇帝たち(2) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈19〉悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈20〉悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)

きっかけ=久々にローマ人の続きを再開させる。

アウグストゥスも終わってしまい、ここから進められるかどうか我ながら心配だったが、やはり塩野先生の古代の男たちの描き方は魅力にあふれていて、自然に引き込まれてしまう。

文庫本4巻分の「悪名高き皇帝たち」は、初代皇帝アウグストゥスから帝国を引き継いだ4人の皇帝たちの話だが、この4人が生きた時代から今まで、すこぶる評判が悪い。
特に三代皇帝ティベリウス、五代皇帝クラウディウスは、当時のローマ市民からも「孤島の恐怖者」や「恐妻家の愚者」の烙印を押された皇帝たちだが、塩野氏の筆によって彼らの政治的判断、指示、行動がひとつひとつ丁寧に引き出され、ひとつひとつ評価されている(正しく断罪されている所業もある)。

「カエサルが青写真を描き、アウグストゥスが構築し、ティベリウスが磐石にし、クラウデゥスが手直しをほどこした」とは言い得て妙。
誰でも知っている「暴君ネロ」も、塩野氏の筆にかかると、ナイーブすぎる青年が極端な行動に走ることで破滅を招いた、ということになる。

また暴君ネロがローマ帝国史上もっとも有名な皇帝である理由は、ネロがキリスト教徒を「人類全体への憎悪」の罪名のもとに処刑したことで、のちのキリスト教支配下の世界でローマ帝国自体が断罪されたときのプロパガンダとして利用された、という説明に納得。

塩野 七生「マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)」 ★★★☆☆

塩野 七生「マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)」

きっかけ=以前うっかりマキアヴェッリの超訳本を読んでしまい、原典が気になっていたため、塩野さん厳選の語録を読んでみる。

まえがきに塩野氏がなぜ本書を上程したかを記したあとは、すべてマキアヴェッリのことばそのままを並べたのみ。
この選出と並び、太字の付け方が「塩野流」ということなのだろう。原典好きな私にはぴったり。

こうやって読むとまさに塩野氏の人物評価はマキアヴェッリ的だ。
政治とは何か、戦略(政略)とは何か、ということがこの本を読めばわかる。

それが国家存続のために必要な手段(たとえ裏切りであろうとも)であれば、眉ひとつ動かさずに実行できる人。
「君主にとっての最大の悪徳は、憎しみを買うことと軽蔑されること」「憎しみは、国民のもちものに手を出したときに生ずる。軽蔑は、君主の気が変わりやすく、軽薄で、女性的で、小心者で、決断力に欠ける場合に、国民の心中に芽生えてくる」

塩野 七生「日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書)」 ★★☆☆☆

塩野 七生「日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書)」

きっかけ=「リーダー篇」に続けて本書を読む。

リーダー篇と同じく文藝春秋連載のこちらは2006年10月~2010年4月掲載もの。
政権は小泉から安倍へのバトンタッチから始まり、民主党の事業仕分けまで。

小泉改革路線の熱が冷めた混迷期であり、塩野氏のイライラもMAXだが、「価格破壊に追従しない」や「仕分けされちゃった私」を読むと、ああ本当にこの人は保守的だな、私も保守派だけど、年齢の差もあろうが、ここまでではないな、と思うこともあった。

横道にそれるが、CDシングルの年間売上5位までを(人気投票権などが主目的の)AKB48が独占した今年は、名実ともに「CDが死んだ年」として日本音楽史に刻まれるであろうと予測しているが、その時代において、これまでも変わりなく誇りを持って「CD」という作品を作り続けるか、まったく違う価値観で「CD」を活用するか・・・どちらもアリだと思う。
塩野氏(や山下達郎)は前者のタイプであり、私も敬愛し支持するが、後者のタイプが出てきたときも聞く前から否定せず、まずは聞く耳のある人間でありたい。

話は戻るが、塩野氏の「戦争」や「武力」に対する本質的なコメントはいつも鋭い。
塩野氏の文章に親しむとともに、武力というものが歴史的にいかに権力と密接に関わってきたか(武力のない権力はないも同然)、武力はいかに質と量で換算可能なものか(善悪とは全く異なる、定量的なもの)など、私を含めた日本人はそういう認識が薄いことを痛感する。
暴力と武力はまったく違うものだが、その区別が私を含めた日本人はあまり明確ではない。

塩野 七生「日本人へ リーダー篇 (文春新書)」 ★★★☆☆

塩野 七生「日本人へ リーダー篇 (文春新書)」

きっかけ=半年前にAmazon購入してそのままだった本書を手に取る。

久々に塩野七生を読むと、この人と自分の思考回路がやっぱり似ていることに驚く、が、内田本を読みまくった後に塩野本を読むと、内容が薄いという印象が否めない。

なぜかと考えてみるに、塩野先生はいつも「人」を切り口に政治や外交について意見しており、「原則的にやらねばならないことは同じで、どの政権がやっても(つまり自民でも民主でも)同じであるが、すぐれたリーダー(および幹部)が長期的にやりぬいてこそ成果が出る」、という前提に立っている。
そのすぐれたリーダーとは、端的にいえば「戦争で勝つ」リーダーであり、すなわちユリウス・カエサルであり、小泉純一郎である。

しかし内田先生は「やらねばならないことは同じ」とはしない。
TPP問題、社会保障問題、市場原理主義への警笛、日米・日中関係について・・・それぞれについて彼の考えははっきりしており、誰がやるか、よりも、何をするか、を重要視している。

塩野先生も内田先生も、世事についての記述であっても「永きにわたってリーダブルなものを書きたい」という理想は同じのようだが、正直、塩野先生の2003年~2006年に書かれたこの書の内容は、「人」以外の切り口は旧いという印象。
いま同氏が同じテーマで書くとどうなのだろうか。(というか、やっぱり塩野さんは歴史モノがいいのかもしれない)

塩野 七生「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)」 ★★★☆☆

塩野 七生「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)」

きっかけ=塩野七生氏の代表作として必ず挙がる本書を読んでみたいと思い、購入。

初期の入魂の作品であるため期待大だったが、残念ながらローマ人の方が面白い。
歴史的には悪名高いチェーザレの「内面」でなく「行動」を丹念に綴ることで、愛を込めてチェーザレをあるべき君主として再評価している。

それにしてもこの長いタイトルはインパクトがあるし、読みたいと思わせる。

塩野 七生「ローマ人の物語〈14〉〈15〉〈16〉パクス・ロマーナ(上)(中)(下) (新潮文庫)」 ★★★☆☆

ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈15〉パクス・ロマーナ(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈16〉パクス・ロマーナ(下) (新潮文庫)

きっかけ=ユリウス・カエサル記が終わってしまい、我ながら読み切れるかどうか心配になりつつ続巻を手に取る。

初代皇帝アウグストゥスを、業績別ではなく彼の人生として綴ってゆく。
共和制復活を説きながら初代皇帝となった彼の使命に対する驚異的な忍耐強さ、異常な血への執着。

絶対に友人にはしたくないタイプだがカエサルは後継者に選び、事実最高の後継者となった。
塩野氏でなければ書けないアウグストゥスだ。