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レイチェル・ボッツマン, ルー・ロジャース「シェア 〈共有〉からビジネスを生みだす新戦略」 ★★★☆☆

シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略からビジネスを生みだす新戦略

きっかけ=piyoにお借りして。

分厚い本で、通勤中に持ち歩くのが大変でしたが、なんとか読了。

いまこの瞬間にも、あちこちで発生し、拡がりつつあるソーシャル上の「共有」サービス、コミュニティについて、多くの事例を挙げながら分類解説し、今後の予測を示唆したのが本書です。
2010年12月初版で、いま2012年5月。この種の本はすぐに陳腐化してしまいますが、読んでよかったし、特にビジネスパーソンは今すぐ読むべきだと思います。

「共有」をテーマとする様々な活動を、筆者は「コラボ消費」と名付けていますが、有象無象のこの現象を、3つのタイプに分けています。

コラボ消費は3つのタイプに分けられる。

・プロダクト=サービス・システム
・再配分市場
・コラボ的ライフスタイル

・プロダクト=サービス・システム
ある製品を100%所有しなくても、その製品から受けたサービス-つまり利用した分-にだけお金を払うという、「所有より利用」の考え方
カーシェア、太陽光発電、コインランドリー、P2Pで貸し出し

・再配分市場
ソーシャルネットワークをとおして、中古品や私有物を、必要とされていない場所から必要とされるところ、また必要とする人に配りなおす。
一般的に中古品市場のこと。

・コラボ的ライフスタイル
同じような目的をもつ人たちが集まり、時間や空間、技術やお金といった、目に見えにくい資産を共有すること。
地域密着型が多い。
オフィスシェア、ガーデンシェア、ライドシェア、ソーシャルレンディング、カウチサーフィン

最初の2つはリアル市場でも馴染みのあるものが、ネットという環境でブレイクスルーした、という例が多いですが、
やはり目新しいと感じるのは3つ目の「コラボ的ライフスタイル」。
フリーで仕事をしている人同士が集まってコミュニケーションを楽しむ「オフィスシェア」、ホテルに宿泊するのではなく現地に住む人の家のカウチに寝かせてもらって、地元の人しか知らないレストランやバーを教えてもらったり、地元人とのコミュニケーションを楽しむ「カウチサーフィン」。
コミュニティを作り、共有することで、人と人とのつながりができて、それ自体を楽しむためにまたシェアする、という好循環が生まれています。


これらの「コラボ消費」でキーとなってくるのは、どうやって見も知らない相手を信頼するのか?ということなのですが、サービスの利用者、提供者それぞれが「評価」されることで、その人物やサービスの信頼性を測られる、と言われています。


この「コラボ消費」のみならず、最近のネットではSNSをはじめ、多くの「評価」が飛び交って、私自身もその「評価」を大変大事な参考要素としていますが、改めてこういう書籍を読んでみると、ちょっと怖いな、という気もしてきました。
近い将来、ネットでの人物評価が、その人自身の「世の中の評価そのもの」になる日も近いような気がします。

雇用も結婚も、その評価が悪い人とはご縁を遠ざけたいですよね・・・。
今まで、ちょっと引越したり転職すればリセット可能だった人生が、そうはいかなくなるのでしょうか。


それはともかく、こういう「シェア」の動きや、それをきっかけに昔あった、お隣さんから剪定ばさみを借りて庭のお手入れをする、というライフスタイルの復活があることは、ぜひ気をつけたい動向だし、望ましいことだと思います。

迷惑をかけあい、あるいは一方的にかけられ、それを疎ましがっても容認しながら生活することこそ、人間の暮らしそのものだと思うのです。

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池谷 裕二「進化しすぎた脳 (ブルーバックス)」 ★★★☆☆

池谷 裕二「進化しすぎた脳 (ブルーバックス)」

きっかけ=piyoからお借りして。

著者がNY留学している際に、日本人高校生数人を相手に連続講義をしたときの講義録。
高校生たちと一緒に取り上げるテーマがとても、哲学的です。
「脳」をテーマとした禅問答、という印象を受けました。

ただし、禅問答の場合は、絶句したときは絶句したまま、それを積み重ねて禅の根本に近づくというアプローチを取りますが、
池谷先生の場合は脳科学研究者だけあって、絶句したままにせず、そこにある汎用的な定義付けをされます。
しかし池谷先生は、完全ではないがそれでも定義するなら、という前提での定義であり、定義だけでは説明できない現象については「科学ができることはしょせんここまでだよ」と割り切っています。
科学者として、とても真摯な態度だと感じます。

たとえば、「意識がある」ことの最低条件は、
(1)表現の選択
(2)ワーキングメモリ(短期記憶)
(3)可塑性(過去の記憶)
の3つとしています。
この3つなら、高度な知能を持つコンピュータが条件が揃ってしまうのでは?という突っ込みに対して、「そうだね、それが科学の限界だ」とサラリと答えます。
しびれますねー。

高校生に対する4回の連続講義のうち、第2回(第2章)が一番おもしろかったように思います。
この本は目次だけ見ていてもワクワクしますが、第2章には

「目ができたから、世界ができた」
「人間は言葉の奴隷」
「『悲しいから涙が出る』んじゃない」

などの小見出しがあり、このへんがとても共感しました。

私たちの見ているもの、感じること、思うことは、すべて限定・歪曲されているけれど、そのようにしか知覚できないし理解できない。
だからといって投げやりにもなりたくない。
自分が見ているもの、思うことが「正しい」のではなく、「偏っている」という前提で、それでも真実にアプローチしたいという情熱を持つ、
常にそういう態度を取りたいものです。

脳科学を追求すると、そういう哲学に行きつくんですね。
いや、何を追求しても、行きつくところはそういうことなのかもしれません。

池谷 裕二「脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)」 ★★☆☆☆

池谷 裕二「脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)」

きっかけ=piyoからお借りした一冊。

脳科学者、池谷祐司先生の「脳科学エッセイ」。
氏の著書は初めて手に取りました。いま二冊目「進化しすぎた脳」を読んでいるのですが、ちょっと読む順番を間違えたような気がします。先に「進化~」を読んだ方がよかったかな。

「脳はなにかと~」の方は、氏の専門である神経生理学やシステム薬理学を、おもいっきり週刊誌ネタまで引き下げたテーマに落として、エッセイとして語ってしまったという大胆不敵な一冊です。

どのくらい引き下げたかというと、Amazonの紹介文にこう書いてます。

「恋愛、ダイエット、不眠、ド忘れ、ストレス、アルコール…脳のすごさがわかった!」

確かにそういう内容もでてきます。が、アプローチとしては脳科学専門誌に発表されている最新の研究論文を挙げながら、例えば身近な例でいうと・・・ということで、不眠やら恋愛やらに絡めて解説する、という方法です。

この、「こうすればダイエットになる!」とか、「ストレスに効く!」というようなネタ自体が、ワタクシ苦手でございます。こういう、いかにもおばちゃんが喜びそうなネタに拒否反応が出るのです・・・きっと自分がもうちょっとマシな人間だと思いたいからです。しょうもないプライドが邪魔をするのでしょう。

このような「しょうもないプライド」を、どうやら池谷先生はお持ちではないようです。
最新の脳科学の研究からわかった最先端の知見を、こともあろうに「恋愛」やら「ダイエット」をテーマに解説するとは・・・おそらく専門家たちからは煙たがられる存在でしょう。しかし氏はそんなことは全く気にせず、どうしたら専門家の視点をブレイクスルーして、一般人(もっというと中高生)の、脳やこころに対する知的好奇心に応えられるか、ということを常に意識されているようです。

本書で初めて知ったことも色々とあるのですが、特に興味深かったのは「記憶」の構造です。脳へのインプット→記憶HDDへの保存、までは理解できますが、その保存したファイルを取りだして再生するときに「書き換え」や「消去」が起こるとは。「再生(つまり復習)」が「記憶の強化」には効果大、とだけ思い込んでいましたが、いいかげんな再生をすると、せっかく記憶したものが改ざんされたり消されたりするのですね。

あと、睡眠と記憶の関係性も興味深かったです。
一晩寝ると勝手に頭が整理されることは誰でも実体験で知っていることですが、レム睡眠の間に「起きている間のことを超早送り再生する」ことで記憶HDDに書き込んでいっている、ということは初めて知りました。おもしろいですねー。

このあと、氏の著書を何冊か読み進むことで、もう少し研究の中心部分に近づけたらと思います。
池谷先生、私と同い年です。写真を拝見すると、髪ボサボサの童顔に大きな黒ぶちメガネ、手にするマーカーで描いているのは詳細な脳地図、いかにも脳科学研究者ぽいです(笑)。
しかし、自身の研究に対する信念がよほど深いのでしょう、でなければこんな柔らかテーマで本は書けないと思います。

ニコルソン ベイカー (著), 岸本 佐知子 (翻訳) 「もしもし (白水Uブックス―海外小説の誘惑)」 ★★☆☆☆

ニコルソン ベイカー (著), 岸本 佐知子 (翻訳) 「もしもし (白水Uブックス―海外小説の誘惑)」

きっかけ=ちょっと笑いたい気分だったので、piyoからお借りした本からこちらをチョイス。

男性と女性の電話の会話だけで全編構成されている小説。しかもその二人の会話は「テレホンセックス」。
帯に「前代未聞!」って書いてます。本屋でこの帯を見たなら手に取ることはなかったと思いますが、piyoの書評で面白そうと思い、お借りしました。

短編というわけでもなく、まさかこの小説全編でやーらしいことばっかり話せるわけがないと思っていたら、やーらしいことばっかり話してました(笑)
まあいやらしいといっても電話での会話というのがミソで、結局は二人がいやらしい行為に及んでいるわけではなく、空想上の性ファンタジーなのです。
話はしょっちゅう脱線しまくり、昨日あったことを話している途中にいきなり空想の世界に飛んでいきます。

この、いきなり飛んでいくあたり、実は少々私の苦手分野です。
外国文学ってどうして、空想上のことが異常に具体的なんでしょう。
この小説なら、電話の相手の彼女は小さなアクセサリー店のセンスと腕のいい技術工で、ある日そこに食器洗浄機でうっかり傷をつけてしまった銀のスプーンを修理してもらいたいという男性客が来店する、という挿話が出てくるのですが、これがすべて電話相手の男性の空想物語で、“小さなアクセサリー店”すら実在しません。
赤毛のアンかい!と突っ込みたくなるのですが、こういう話の延長でエッチなあんなことやこんなことに発展してゆきます。

まあ本物のエロ小説ではないので、二人の電話での会話だけから成り立つ性ファンタジーの、あっちにいったりこっちにいったり、その阿吽の呼吸こそが妙味であり笑えるポイントでもあります。
でも、もともと外国文学のファンタジーものが苦手な私なので、星は少なめになってしまいました。

piyoの評では、この翻訳はお見事!らしいですよ。
英語がわかる人でないと妙訳に感動もできないものだな、とションボリ(当たり前か)。

田丸 公美子「目からハム シモネッタのイタリア人間喜劇」 ★★☆☆☆

田丸 公美子「目からハム シモネッタのイタリア人間喜劇」

きっかけ=piyoに借りて

処女作「パーネ・アモーレ」と比較すると、お得意のセクシーネタは少なくなりちょっと寂しい。

処女作から7年を経過してご自身の「女性の魅力」も小野小町状態になり、
以前はあれこれ世話を焼いてくれたイタリア男たちが、最近は駅で荷物も持ってくれないことを嘆くと、
旦那様に「変わったのはイタリア男じゃなくて君だよ」と指摘されてしまうなど、還暦を超えた女性ならではのユーモアもたっぷり。

日本語の読み書きができない人が増えていることについて、幼児期には外国語より日本語とその歴史をしっかり理解しないと「根なし草になってしまう」というご指摘にはまったく同意。
横綱級の通訳のセリフは説得力あるなあ。

タイトルの「目からハム」は、「目からウロコ」のイタリア語訳とのこと、さすがイタリア。
本書のタイトルを見たときは、公美子の「公」の字のことかと思った。

田丸 公美子「パーネ・アモーレ―イタリア語通訳奮闘記 (文春文庫)」 ★★☆☆☆

田丸 公美子「パーネ・アモーレ―イタリア語通訳奮闘記 (文春文庫)」

きっかけ=piyoに借りて

イタリア語通訳の大横綱と称される同氏の処女エッセイ。

「女性には口説くのが礼儀」というイタリア男のおもしろエピソード満載で、それに負けずウィットに富むセクシーネタのおかえしをかますのは、まさに”シモネッタ”の異名を授かった同氏ならでは。

過去の妙訳の手柄披露や息子自慢は鼻につくところもあったが、私もローマ旅行をしたときに、一人で歩いていて道行くイタリア男たちと目が合うとほぼ100%ウィンクされたり、ガイドブックを見ていると「どこに行きたいの?」と声をかけられたりしたことを思い出し、楽しく読み進む。

米原万里氏の解説がまた傑作。米原氏の著作を読んでみたくなった。

絲山 秋子「ばかもの (新潮文庫)」 ★☆☆☆☆

絲山 秋子「ばかもの (新潮文庫)」

きっかけ=piyoに借りて

★ネタバレあり・ご注意ください★

これも今一つ面白さがわからなかった。
前回の「Jesus’ Son」も本作も、piyo評価は星5つだったのに、私はピンとこなかった。

10歳近く年上の女性「額子」に振り回された主人公「ヒデ」が、別れてからアル中となり、それを克服し、事故で片腕切断した額子と再会し、自分を赦し彼女と一緒に生きていくことを選ぶ、というストーリー。

恋愛小説として、終盤はそれぞれが自分を赦し、支え合って今を生きようとする姿はよかったが、「ネユキ」の存在の中途半端さ(新興宗教についての雑な表現)や、「想像上の人物」が指し示す意味がよくわからない。
読み込みが足りないのかもしれないが・・・流れるように書かれている小説の中で、それを読み込む意味もあまり感じず、終わってしまったという印象。

あと、いつもの癖で先に解説2つを読んでしまったのは大失敗。
ラストシーンのネタバレまであり・・・これを解説として本書に掲載する方がおかしいが。
2つ目の解説は日本文学史のフェミニズム潮流における本書のポジショニングについての面倒なうんちくで疲れた。

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