福澤 諭吉 (著), 斎藤 孝 (訳) 「学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)」 ★★★☆☆
福澤 諭吉 (著), 斎藤 孝 (訳) 学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
(歎異抄の前に、こちらのレビューがまだでした)
きっかけ=歴史モノに詳しいSさんからお借りして。
半年ほど前に「福沢山脈」「福翁自伝」を読み、せっかくなので(?)誰でも知ってる(でも読んだことはない)本書もお借りして読みました。
現代語訳ですので、サクサク読めます。訳者の解釈や色付けもほとんど感じなかったので、一応きちんと読んでおきたい、という方にピッタリです。
なんというかまあ、すごく新鮮です。この時代に書かれたものは、この時代の世相や息遣いを汲んで、自分自身がその時代で生きていることとして読む、と手続きを踏まないと、てんで時代錯誤なことをおっしゃっているように感じます。当たり前といえば当たり前ですが、やはり明治6年の新聞に載っていたような文章を読むと、その時代の空気がどういうものだったか、当惑とともにヒシヒシと感じます。
明治6年、約140年前です。はるか昔のようにも感じるけれど、曾祖父の時代と考えれば、その時代の価値観と我々の価値観の深い断絶に、物思わずにはおれません。「正義」とはその時代の相対的なものであると、改めて感じます。
福澤先生のおっしゃっていることが時代錯誤だとか、そういうことではありません。逆に、この時代にこれを言ったというのは、福沢諭吉はやはりすごいというか奇天烈な人だったんだなと感じます。
最初に、なぜ私は学問をすすめるのか、という理由が出てきます。例の、「天は人の上に人を造らず、~」という言葉から始まる一節は、結論としてこういうことをいいたいのです。
人は生まれたときには、貴賤や貧富の区別はない。ただ、しっかり学問をして物事をよく知っているものは、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人となる、ということだ。(p.10)
当時、社会的な地位や貧富は「生まれた家」で決まる、と考えられていた時代に、「学問をすることで地位を向上させ、豊かになることはできる」と説いたわけです。これを啓蒙といわずして何をや。
ここでいう学問というのは、ただ難しい字を知って、わかりにくい昔の文章を読み、また和歌を楽しみ、詩を作る、といったような世の中での実用性のない学問を言っているのではない。(中略)いま、こうした実用性のない学問はとりあえず後回しにし、一生懸命にやるべきは、普通の生活に役に立つ実学である。たとえば、いろは四十七文字を習って、手紙の言葉や帳簿の付け方、そろばんの稽古や天秤の取扱い方などを身につけることをはじめとして、学ぶべきことは非常に多い。(p.11)
こういった学問は、人間にとって当たり前の実学であり、身分の上下なく、みなが身につけるべきものである。この心得があった上で、士農工商それぞれの自分の責務を尽くしていくというのが大事だ。そのようにしてこそ、それぞれの家業を営んで、個人的に独立し、家も独立し、国家も独立することができるだろう。(p.13)
「士農工商」ということばが出てきました。その制度がまだ生きている時代に書かれたことは本当に驚きです。しかも、世間の人は聞く耳を持たなかったのではなく、大ベストセラーになったのです。
当時は「学問」といえば、漢文を読み和歌を読み、といったことがいわゆる「学問」であったこともわかります。そんなものは今となっては「趣味」ですよね(笑)
そして福澤は、「個人が独立することで、家も独立し、結果として国家も独立することができる」、逆に、個人の独立がなければ国家の独立もない、ということを繰り返し繰り返し説いています。当時、いかに「個人」という意識が薄かったか、ということがわかります。家、親戚、土地の縁で、よく言えば連帯、悪く言えばもたれ合い、自分の力では何も変わらない、という空気が蔓延しているというか、当たり前だったのでしょう。当時、日本は独立した主権国家とは言えませんでした。自分の生き方と国家の独立とは何の関係もない、と思っている人が99%の世の中に、個人の独立なくしては国家の独立なし、と言い切った訳です。
このあと、「政府と人民は対等である」とか、「男尊女卑は不合理だ」とか、はたまた「保護と指図の範囲はぴたりとして寸分の狂いもあってはならない」とか、「忠臣蔵が称賛されるのはおかしい」とか、今の時代でも十分説得力のある持論が展開されています。忠臣蔵をこき下ろしていることなぞ、実に痛快ですね。
改めて、福澤諭吉という人はよほどの変わり者だったんだろうな、と楽しく想像するとともに、しかしこの時代に本書は空前のベストセラーになったのいうのだから、当時の日本人もなかなかセンスあるな、と感じた次第。